世界で初めて合成シロシビンによる治療抵抗性うつ病への有効性がPhase 3試験で科学的に証明され、サイケデリック療法の医療分野における新たな転換点が訪れました。本記事では、Compass PathwaysのCOMP360試験結果の詳細と今後のサイケデリック療法の展望について詳しく紹介します。
シロシビン療法が治療抵抗性うつ病に有効性を示す

2025年6月23日、イギリスのバイオテクノロジー企業Compass Pathways(NASDAQ: CMPS)は、同社の合成シロシビン製剤「COMP360」が治療抵抗性うつ病(TRD)に対するPhase 3臨床試験において主要評価項目を達成したと発表しました。この結果は、サイケデリック療法の分野において歴史的な意味を持つものです。
COMP005試験では、25mgのCOMP360を単回投与された患者群がプラセボ群と比較して、モンゴメリー・オースベルグうつ病評価尺度(MADRS)スコアで平均3.6ポイントの有意な改善を示しました(p<0.001)。この結果は統計学的に高度に有意であり、臨床的にも意味のある改善として評価されています。
重要な点として、独立したデータ安全性監視委員会(DSMB)による安全性データの検証では、予期しない安全性の問題は認められず、自殺念慮に関してもプラセボ群との間に臨床的に意味のある差は確認されませんでした。これまでサイケデリック療法への懸念として挙げられてきた安全性の問題について、一定の安心材料を提供する結果となっています。
Compass Pathwaysとは

Compass Pathwaysは2016年に設立されたバイオテクノロジー企業で、エビデンスに基づく精神医学的イノベーションの患者アクセス促進を使命としています。同社は既存の治療法では改善されない深刻な精神的健康状態の患者に、より良い治療選択肢を提供することを目指しています。
同社の主力製品であるCOMP360は、合成シロシビンの独自製剤として開発されており、治療抵抗性うつ病に対してFDAからブレイクスルー治療薬指定を受けています。また、イギリスでも革新的ライセンシング・アクセス経路(ILAP)の指定を受けており、規制当局からの高い評価を得ています。
Compass Pathwaysのアプローチは、従来の毎日服用する抗うつ薬とは根本的に異なります。COMP360は短期間で間欠的な投与による治療を想定しており、患者の生活の質を大幅に改善する可能性を秘めています。CEO のKabir Nath氏は、「この治療法は迅速かつ持続的な反応に焦点を当てた精神的健康状態治療の新しいパラダイムを開拓している」と述べています。同社はサイケデリック療法におけるフロントランナーとも言えるでしょう。
COMP360の臨床試験結果の詳細

今回のCOMP005試験は、米国32施設で258名の治療抵抗性うつ病患者を対象に実施された無作為化二重盲検プラセボ対照試験です。治療抵抗性うつ病とは、2回以上の適切な薬物治療に十分な反応を示さなかった大うつ病性障害のことを指し、米国では推定300万人の患者がこの状態に苦しんでいるとされています。
主要評価項目(MADRSスコア)において対プラセボで有意な結果
試験の主要評価項目は、ベースラインから6週間後のMADRSスコアの変化量における、実薬群とプラセボ群の差でした。結果として、COMP360 25mg群はプラセボ群と比較して平均3.6ポイントの改善を示し、95%信頼区間は[-5.7, -1.5]、p値は0.001未満という極めて良好な統計学的有意性を達成しました。
この試験は3つの段階に分かれており、第1段階(パートA)は6週間まで盲検化された部分で、今回の発表はこの段階の結果です。第2段階(パートB)は26週まで盲検化が継続され、第3段階(パートC)は26週から52週までのオープンラベル治療段階となっています。
並行して実施されているCOMP006試験では、北米とヨーロッパの568名を対象に、25mgを2回(3週間間隔)投与する群と、10mg、1mgの異なる用量を比較検討しています。この試験の26週データは2026年後半に公表予定となっており、より長期的な効果の持続性について重要な情報を提供することが期待されています。
市場の反応と株価下落の背景

臨床試験の成功にもかかわらず、Compass Pathwaysの株価は発表日に46%以上下落し、過去最低水準を記録しました。この一見矛盾した市場反応には、いくつかの要因が影響しています。
まず、投資家やアナリストの期待値との乖離が挙げられます。市場では5ポイント以上のMADRSスコア改善が期待されており、中間段階試験で見られた4ポイント改善を上回る結果が望まれていました。実際の3.6ポイント改善は統計学的には高度に有意でしたが、商業的な期待値を下回る結果として受け止められました。
試験デザインが試験結果に影響か?
この期待値との乖離には、試験デザインの変更が大きく影響していると考えられます。2024年8月にLykos TherapeuticsのMDMA支援療法がPTSDに対する承認を見送られた後、サイケデリック療法業界全体で規制当局への対応方針が変化しました。従来のサイケデリック療法では、薬物投与前後の心理療法セッションが治療効果の核心的要素とされてきましたが、FDAの懸念を受けて、心理療法の要素は有効性評価よりも安全性確保の観点から位置づけられるようになりました。
この変化により、COMP360の試験では心理療法的介入が制限され、薬物単体での効果測定に重点が置かれた可能性があります。サイケデリック療法の本質である「薬物と心理療法の統合的アプローチ」が十分に活用されなかったことが、期待されていた効果サイズに届かなかった一因として考えられます。
さらに、既存の競合薬との比較も株価下落の要因となりました。Johnson & JohnsonのケタミンベースのSpravato(エスケタミン)は、既に治療抵抗性うつ病の治療薬として承認されており、臨床試験ではより大きな効果を示していたことから、COMP360の競争優位性に疑問符が付けられました。
FDAと協議の上、承認への道筋を明確にしていく予定
Evercore ISIのアナリストは、「データはCOMP360が承認される可能性を示しているものの、6週間での効果の弱さと持続性の不明確さが商業的成功に疑問を投げかけている」とコメントしています。特に、6週間という比較的短期間での効果測定であり、長期的な持続性についてはまだ十分なデータが得られていないことが懸念材料として挙げられています。
しかし、CEO のNath氏は「結果は期待を上回るものであり、治療抵抗性うつ病に苦しむ患者にとって重要な前進を示している」と楽観的な見解を示しています。同社はFDAとの協議を通じて、承認に向けた規制上の道筋を明確にしていく予定です。
シロシビン療法の今後の展望

今回のCOMP360の成功は、サイケデリック療法の分野における重要な転換点を示しています。これまでサイケデリック物質は主に研究段階に留まっていましたが、初めて合成シロシビンがPhase 3試験で有効性を実証したことで、医療分野での実用化に向けた大きな一歩となりました。
サイケデリック療法の潜在的利点として、従来の抗うつ薬とは異なる作用機序が挙げられます。シロシビンはセロトニン2A受容体に作用し、神経可塑性の促進や神経回路の再編成を通じて、うつ病の根本的な病態に働きかけると考えられています。また、単回または少数回の投与で長期的な効果が期待できることから、患者の服薬負担軽減や生活の質向上に大きく寄与する可能性があります。
規制面では、FDAのブレイクスルー治療薬指定により、承認プロセスの迅速化が期待されています。同様の指定を受けた治療薬の承認率は約80%と高く、COMP360の承認可能性は高いと考えられています。ただし、安全性プロファイルの確立や適切な投与体制の構築など、解決すべき課題も残されています。
国際的な動向としては、オーストラリアが2023年にシロシビンとMDMAの医療使用を承認するなど、サイケデリック療法への理解が深まっています。日本においても、将来的には治療選択肢として検討される可能性があり、海外での承認状況や安全性データの蓄積が重要な判断材料となるでしょう。
サイケデリック療法の本質を維持しつつ、安全性と有効性が求められる
ただし、現在の規制環境下では、サイケデリック療法の本質的価値である心理療法との統合的アプローチと、より多くの患者への治療アクセス確保の間にジレンマが生じています。Lykos TherapeuticsのMDMA療法承認見送り以降、規制当局は心理療法要素に対してより慎重な姿勢を示しており、薬物単体での効果評価に重点が置かれる傾向があります。
今後の課題は、サイケデリック療法の治療的本質を維持しながら、安全性と有効性の両面で規制当局の要求を満たす治療プロトコルの開発です。これには、訓練を受けた治療者の確保、標準化された心理療法手順の確立、そして適切な治療環境の整備が不可欠となります。サイケデリック療法が真の意味で患者に貢献できる治療法として確立されるには、科学的エビデンスの蓄積と並行して、これらの実践的課題の解決が求められています。
研究面では、うつ病以外の適応症への展開も期待されています。心的外傷後ストレス障害(PTSD)、不安障害、薬物依存症など、既存の治療法では限界のある精神的疾患への応用研究が世界各地で進められており、サイケデリック療法の治療範囲は今後さらに拡大する可能性があります。
まとめ:シロシビン療法の新時代への第一歩
Compass PathwaysのCOMP360によるPhase 3試験の成功は、サイケデリック療法が科学的根拠に基づく医療として認められる歴史的な瞬間となりました。3.6ポイントのMADRSスコア改善は統計学的に高度に有意であり、治療抵抗性うつ病という深刻な疾患に対する新たな治療選択肢の可能性を示しています。
株価の下落は短期的な市場の期待値との乖離を反映したものですが、長期的な視点では、サイケデリック療法の医療分野における地位確立に向けた重要な前進として評価されるべきでしょう。ただし、Lykos TherapeuticsのMDMA療法承認見送りが示したように、サイケデリック療法の本質である心理療法的要素と規制要件のバランスを取ることが、今後の課題として浮き彫りになっています。
治療抵抗性うつ病に苦しむ数百万人の患者にとって、COMP360は希望の光となる可能性を秘めています。しかし、真にサイケデリック療法の恩恵を患者に届けるためには、薬物単体の効果だけでなく、心理療法との統合的アプローチの価値を科学的に実証し、規制当局との建設的な対話を継続していくことが不可欠です。今後の26週データの公表や第2のPhase 3試験結果、そしてFDAとの規制協議の進展が、この革新的な治療法の真の可能性を実現する鍵となるでしょう。安全性と有効性の両面でさらなるデータの蓄積が必要ですが、シロシビン療法の新時代の幕開けを告げる重要な成果として、医療関係者や患者、そして社会全体が注目していくべき発展といえるでしょう。
Compass Pathways. (2025, June 23). Compass Pathways successfully achieves primary endpoint in first phase 3 trial evaluating COMP360 psilocybin for treatment-resistant depression [Press release]. Compass Pathways plc. https://ir.compasspathways.com
Sunny, M. E., & Santhosh, C. (2025, June 23). Compass shares hits record low after depression drug fails to impress. Reuters. https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。