従来の精神医学では治療困難とされてきた重篤なうつ病や依存症に、今革命的な治療法が登場しています。半世紀にわたる法的禁止を打ち破り、アメリカ・オレゴン州で全米初のシロシビン合法化を実現したTom Eckertの壮大な挑戦と、彼が切り開いた画期的な治療選択肢の可能性について詳しく紹介します。
Tom Eckertの革命:全米初のシロシビン合法化を実現をリード

アメリカにおけるサイケデリック療法の歴史において、最も重要な人物の一人として位置づけられるのは、Tom Eckertでしょう。彼が故妻Sheri Eckertとともに成し遂げた偉業は、2020年のオレゴン州Measure 109(メジャー109)の可決でした。この法案により、オレゴン州は全米で初めてシロシビンを使用した治療的サービスを合法化した州となったのです。
Tom Eckertの物語は、単なる法制度の変革にとどまりません。それは、従来の精神保健アプローチの限界を認識し、科学的根拠に基づいた新しい治療法への道筋を切り開いた革命的な取り組みなのです。
オレゴン・シロシビン・ソサエティの創設と使命
2015年、Tom EckertとSheri Eckertは、ビーバートンでカウンセラーとして活動していました。当時、サイケデリック療法の合法化は遠い夢に過ぎませんでしたが、この夫婦は異なる視点を持っていました。彼らは科学研究の進展を注視し、シロシビンの治療的可能性を確信していたのです。
この確信が、2017年の「オレゴン・シロシビン・ソサエティ」の設立につながりました。同組織は「増加する信頼できる研究に対応し、管理されたシロシビン・サービスの安全性と利益についての認識を高めることを目的とした、個人、ネットワーク、組織の進化する連合体」として定義されました。
シロシビンとは、特定のキノコに含まれる天然の化合物です。この物質は、脳内のセロトニン受容体に作用することで、意識状態を変化させる効果を持ちます。医学的には、うつ病、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、依存症などの治療に有効性が示されています。
Measure 109:歴史的な法制化への道のり

Eckert夫妻の最大の目標は、「シロシビン・サービス・イニシアティブ・オブ・オレゴン」と呼ばれる法案を2020年の州民投票にかけることでした。この法案は、単純な薬物の非犯罪化ではなく、包括的な規制枠組みの創設を目指していました。
この規制枠組みの特徴として、まずライセンス制度の導入があります。
生産者、施設運営者、ファシリテーター(治療者)すべてにライセンスが必要となります。また、段階的なセッション構造も重要な要素で、オリエンテーション、シロシビン体験、統合セッションという複数段階のプロセスを経ることになります。対象者は21歳以上の成人で、医学的診断を必要とせず、スクリーニングを通過した成人が利用可能です。監督機関としては、医療機関ではなく、オレゴン州保健局の管轄下での運営となります。
この法案の画期的な点は、治療目的だけでなく「個人的な成長、一般的な幸福感、開放性と創造性の向上、精神的なつながりの強化」といった目的での使用も認めたことです。これは、従来の医療モデルを超えた、より包括的なウェルネス・アプローチを示しています。
165,000の署名と歴史的勝利
2018年7月から署名集めを開始したEckert夫妻は、草の根運動を通じて165,000の署名を集めました。彼らはSUVの後部に演台を積んで州内各地を回り、満員の劇場や州内のラジオ番組で自らの主張を展開しました。
2020年11月3日、Measure 109は130万票(56%)の支持を得て可決されました。この勝利は決定的かつ歴史的であり、全米初の州レベルでのサイケデリック療法合法化という快挙を成し遂げたのです。
悲劇と継承:Sheri Eckertの急逝とその後
しかし、勝利の喜びは短命でした。2020年12月17日、Measure 109可決からわずか1か月半後、Sheri Eckertが突然この世を去りました。彼女は睡眠中に、愛するTomの隣で静かに息を引き取ったのです。
Sheriの死は大きな悲劇でしたが、彼女の遺志は「Sheri Eckert Foundation」として受け継がれています。同財団は、奨学金やその他の支援プログラムを通じて、サイケデリック・トレーニングやサービスへのアクセスを提供する主要な慈善団体となっています。
InnerTrek:実践的な人材育成の拠点

悲しみを意図に変えたTomは、2021年にInnerTrekを設立しました。これは、オレゴン州のシロシビン・ファシリテーター・トレーニング・プログラムを提供する教育機関です。
InnerTrekの特徴として、まず多学際的カリキュラムがあります。心理学、医学、薬学、倫理学、法学などを統合したアプローチを採用しています。また、実践重視の教育も重要で、ポートランド中心部の4600平方フィートの施設での実習プログラムを提供しています。さらに、受講生同士の緊密なネットワーク構築を重視し、世界の著名なサイケデリック組織とのパートナーシップを通じて継続的な品質向上を図っています。
InnerTrekは、オレゴン州保健局からの承認と、オレゴン州高等教育調整委員会からのライセンスを取得しています。第一期生として100名以上の資格を持つ受講生が参加し、すぐに緊密なコミュニティを形成しました。現地での参加に加え、オンラインでの参加も可能であり、全米各州から多様なバックグランドの参加者がプログラムを受講しています。
科学的基盤とエビデンス
Tom Eckertが整えたアプローチの重要な側面は、科学的根拠に基づいていることです。近年の研究により、シロシビンの治療効果が数多く実証されています。
ジョンズ・ホプキンス大学の研究では、シロシビン支援療法がうつ病症状を大幅に改善することが示されました。また、がん患者の不安や死への恐怖を軽減する効果も確認されています。依存症治療においては、タバコやアルコール依存症に対する高い治療効果が報告されており、心的外傷後ストレス障害の症状改善にも有効性が示されています。
これらの研究結果は、従来の精神医学的治療法では限界があった症例に対する新しい希望を提供しています。シロシビンの作用機序は、脳内のセロトニン2A受容体への結合により、神経の可塑性を高め、固定化された思考パターンを変化させることにあります。
ファシリテーター:新しい専門職の誕生
オレゴン州のモデルにおいて、ファシリテーターは中核的な役割を果たします。ファシリテーターとは、シロシビン・セッション中にクライアントを安全に導く専門職です。彼らは医師ではありませんが、高度な訓練を受けた専門家です。
ファシリテーターの役割には、準備段階の支援が含まれます。これは、クライアントの意図設定と心理的準備のサポートです。セッション中は物理的・心理的な安全環境の維持が最重要となります。また、体験後の洞察を日常生活に統合する支援も重要な業務です。さらに、困難な体験(バッドトリップ)への適切な対応も求められます。
この専門職の創設は、従来の医療モデルとは異なる、よりホリスティック(全人的)なアプローチを体現しているのです。
法的・規制的課題と解決策
Tom Eckertが直面した最大の障壁は、シロシビンが連邦レベルで「スケジュール1」薬物に分類されていることでした。これは「乱用の可能性が高く、アメリカで医学的治療用途として認められていない」ことを意味します。
しかし、州レベルでの合法化は、大麻合法化で採用された「コール・メモランダム」と呼ばれる連邦政策の先例に基づいています。この政策により、州法で合法化された活動について、連邦政府は起訴を控える方針を取っています。
オレゴン州のモデルは、この法的複雑性を巧妙に回避しながら、実用的な枠組みを構築しました。重要なのは、これが単なる非犯罪化ではなく、積極的な規制と品質管理を含む包括的システムであることです。
InnerTrekの教育理念と実践
InnerTrekの教育プログラムは、安全第一の原則に基づいています。物理的・心理的安全の確保を最優先事項としており、最新の研究成果に基づいたカリキュラム設計を行っています。また、先住民の伝統的な使用法への敬意と学習も重視されています。高い倫理基準の維持と継続的な自己省察が求められ、受講生間の相互支援とネットワーク構築にも力を入れています。
プログラムの修了生は、オレゴン州またはコロラド州でライセンスを取得し、合法的にシロシビン・セッションを提供できるようになります。これは、従来の「アンダーグラウンド」な使用から、透明性と責任を持った専門的サービスへの転換を意味しているのです。
全国への波及効果と未来展望
オレゴン州の成功は、他州にも影響を与えています。2022年、コロラド州は「天然薬物法」を可決し、オレゴン州モデルの進化版を採用しました。InnerTrekは現在、両州間の密接な協力を通じて、ライセンスの互換性、訓練要件の標準化、専門的規範の共創、研修単位の相互承認を実現しています。
コロラド州に至っては、未だ制度は「設計途上」とも言うべきですが(当事者たちも制度にキャッチアップするのが大変なように見受けられます)、この多州間の取り組みは、全国的なサイケデリック・アクセス・モデルの青写真を提供しているように思えます。Tom Eckertのビジョンは、太平洋岸北西部から始まった草の根運動が、全国に広がる可能性を示しています。
従来治療法との違いとその意義

従来の精神医学的治療法は、主に症状の管理に焦点を当てています。抗うつ薬や抗不安薬は、症状を一時的に抑制しますが、根本的な問題の解決には限界があります。また、多くの患者が副作用や依存性の問題に直面しています。
一方、シロシビン療法は、根本的に異なるアプローチを取ります。数回のセッションで長期的な効果を期待する短期集中型の治療法です。薬物効果よりも得られる洞察と気づきが治療の核心となり、心理的、精神的、時には霊的な側面を統合するホリスティックなアプローチが特徴です。また、クライアント自身の内的知恵と治癒力を活用する個人主導の治療法でもあります。
Tom Eckertは「一般的な製薬系の介入が不足する場面で、シロシビンは驚くべき頻度で本当に突破口を開いている」と述べています。これは、従来の「薬で症状を抑える」アプローチから、「体験を通じて変化を促す」アプローチへのパラダイムシフトを表しています。
安全性とリスク管理の重要性
Tom Eckertのアプローチで特筆すべきは、安全性への徹底したこだわりです。シロシビンは比較的安全な物質とされていますが、適切な環境と指導なしに使用された場合、リスクが存在します。
心理的危機として「バッドトリップ」と呼ばれる恐怖や混乱状態が起こる可能性があります。また、統合失調症や双極性障害などの既存の精神疾患が悪化するリスクもあります。さらに、判断力の低下による事故の可能性や、不適切な統合による持続的な混乱といった長期的な心理的影響も考慮すべき点です。
InnerTrekのプログラムは、これらのリスクを最小化するための包括的な安全プロトコルを含んでいます。スクリーニング、準備、セッション中のサポート、事後の統合支援という多段階のアプローチにより、安全で効果的な体験を保証しています。
教育システムの革新と実践
InnerTrekの教育プログラムは、従来の医学教育とは根本的に異なるアプローチを採用しています。理論的基盤として、神経科学、心理学、薬理学の最新知識に加え、意識研究や精神世界の探求についての理解を深めます。実践的スキルでは、セッション設計、クライアント評価、危機介入、統合技法などの具体的な技能を習得します。
倫理的思考の育成も重要な要素です。権力関係、同意、文化的配慮、プライバシー保護などの複雑な倫理的問題への対応能力を養います。さらに、ファシリテーター自身の内的作業と自己理解を深め、より効果的な支援を提供できるよう準備します。
Tom Eckertは「私たちは全く新しいものを形作っていることを感じていた」と述べており、これは単なる職業訓練ではなく、新しい専門分野の創造であることを示しています。
社会的影響と文化的変化

Tom Eckertの取り組みは、アメリカ社会における薬物政策と精神保健に対する態度の根本的な変化を促しています。彼の成功は、科学的証拠の蓄積を反映しています。ジョンズ・ホプキンス大学、ニューヨーク大学、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどの一流研究機関からの研究結果が、政策変更の科学的基盤を提供しています。
また、世代間の意識変化も重要な要素です。1960年代の「ドラッグ・カルチャー」とは異なる、医療・ウェルネス重視のアプローチが社会的受容を得ています。アメリカでは精神的健康問題が深刻化しており、従来の治療法では限界があることが広く認識されています。さらに、新しい産業の創出により、雇用機会と経済活動が生まれています。
批判と課題への対応
Tom Eckertの取り組みは、すべてが順風満帆だったわけではありません。彼は様々な批判や課題に直面してきました。
まず、連邦法との矛盾があります。シロシビンが連邦レベルで違法である限り、利用者やファシリテーターは理論的には連邦起訴のリスクにさらされています。また、利益相反の懸念も指摘されました。Tom EckertがInnerTrekの経営者でありながら、州の諮問委員会の議長を務めていたことについて、利益相反の指摘があり、これにより彼は2022年に委員会の議長を辞任しています。
新しい分野であるため、サービスの品質や効果を保証する確立された基準がまだ発展途上にあることも課題です。さらに、高額なセッション費用により、経済的に余裕のある人々のみがアクセスできる可能性があるという問題もあります。
これらの課題に対して、Tom Eckertは透明性と継続的改善を通じて対応しています。彼の「外見を気にかけている」という発言は、公的な立場における責任感と、運動全体の信頼性を守る姿勢を示しています。
グローバルな文脈でのオレゴン・モデル
Tom Eckertの成果は、世界的なサイケデリック療法の発展においても重要な位置を占めています。オランダでは「トリュフ」(シロシビンを含む菌類)が合法ですが、医療的な枠組みは限定的です。オレゴン州のより包括的なアプローチは、他国にとってのモデルケースとなっています。
イギリスのインペリアルカレッジロンドンなどの研究機関と協力し、国際的な研究ネットワークを構築しています。カナダでは既にシロシビン支援療法が特定の条件下で認められており、両国間での情報共有が進んでいます。2023年、オーストラリアがシロシビンを医療目的で合法化しましたが、これにはオレゴン・モデルの影響があったと考えられています。
経済的インパクトと産業の成長
Tom Eckertの先駆的な取り組みは、新しい経済分野の創出につながっています。オレゴン州では、ファシリテーター、施設運営者、研究者、行政担当者などの新しい職種による直接的な雇用創出が起こっています。
関連産業も発展しており、キノコ栽培、セッション用品の製造、専用施設の設計・建設などの周辺産業が成長しています。「サイケデリック・ツーリズム」として、他州や海外からの訪問者も増加し、観光業への影響も見られます。ベンチャーキャピタルや投資家からの関心も高まり、資金調達が活発化しています。
ある専門家の推計によると、オレゴン州のサイケデリック産業は今後10年間で数十億ドル規模に成長する可能性があるとされています。
現在のInnerTrekと今後の展開

2024年現在、InnerTrekはTom Eckert、Nate Howard(運営責任者)、Emma Knighton(サービス・ディレクター)、Lisa Snyder(コミュニティ・エンゲージメント責任者)というリーダーシップ体制を確立しています。
2022年にオレゴンに続いて合法化したコロラド州での事業展開を進めています。また、世界各国のサイケデリック研究機関や治療センターとの連携を強化してるほか、より効果的な治療プロトコルの開発と、長期的な効果の研究も継続しており、VR(仮想現実)やAIを活用した新しい治療手法の開発にも取り組んでいます。
個人的な動機と哲学
Tom Eckertの動機は、単純な商業的利益や名声への欲求を超えたものです。彼の哲学は「体験が人々に変化をもたらす」という信念に基づいています。
カウンセラーとしての経験から、彼は「性格は簡単には変わらない」ことを理解していました。従来の療法では、行動の修正や思考パターンの変更に長い時間を要し、しばしば限定的な成果しか得られません。しかし、シロシビン体験は、短時間で深い洞察と持続的な変化をもたらす可能性を秘めているのです。
この哲学は、東洋の瞑想的伝統や先住民のシャーマニズムとも共通点を持ちます。これらの伝統では、意識状態の変化を通じた治癒と成長が重視されてきました。Tom Eckertのアプローチは、古代の知恵と現代科学を融合させた革新的な手法と言えるでしょう。
まとめ:Tom Eckertが開いたサイケデリック療法の新時代
Tom Eckertの業績は、単一の州法の可決を超えた、パラダイム的な変化の触媒として機能しています。彼が故妻Sheriとともに開始した運動は、アメリカの精神保健治療における根本的な変革の先駆けとなりました。
彼の成功の要因は、科学的根拠への深い理解、安全性への妥協なき追求、そして社会変革への長期的なビジョンにあります。Tom Eckertは、法的な障壁を乗り越えるだけでなく、新しい専門職の創設、教育システムの構築、そして文化的な意識変化の促進まで実現しました。
現在、オレゴン州のモデルは他州や他国にも影響を与え、グローバルなサイケデリック療法の発展の基盤となっています。Tom Eckertが切り開いた道は、従来の医療モデルでは限界があった精神的苦痛に対する新しい希望を提供し続けています。
彼の物語は、個人の信念と科学的証拠、そして粘り強い努力が、社会全体の変革を引き起こす可能性を示しています。Tom Eckertの遺産は、Sheri Eckertの記憶とともに、未来の世代がより効果的で人道的な精神保健治療にアクセスできる世界の実現に向けて、今も続いているのです。
Oregonian/OregonLive, L. A. |. (2017, December 6). This couple wants to make it legal to use psychedelic mushrooms in Oregon. Oregonlive. https://www.oregonlive.com/trending/2017/12/this_couple_wants_to_make_it_l.html
Oregonian/OregonLive, L. A. |. (2020, November 4). Oregon becomes first state to legalize psychedelic mushrooms. Oregonlive. https://www.oregonlive.com/politics/2020/11/oregon-becomes-first-state-to-legalize-psychedelic-mushrooms.html
Oregonian/OregonLive, L. A. |. (2022, March 12). One of the creators of Oregon’s legal psychedelic mushroom program leaves advisory board. Oregonlive. https://www.oregonlive.com/news/2022/03/one-of-the-creators-of-oregons-legal-psychedelic-mushroom-program-leaves-advisory-board.html
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。