シロシビン療法のリスクと安全性|医療現場の事例から学ぶ

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うつ病治療の新たな選択肢として注目されるシロシビン療法ですが、スイスで起きた悲劇的な症例が医療界に重要な警鐘を鳴らしています。本記事では、バーゼル大学で報告された症例とともに、サイケデリック療法における安全性確保の重要なポイントについて紹介します。

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シロシビン療法の可能性と慎重なアプローチの必要性

シロシビン療法の可能性と慎重なアプローチの必要性

シロシビン療法は、従来の治療に反応しないうつ病患者に対する画期的な治療法として期待されています。

しかし、2025年1月に発表されたバーゼル大学の症例報告は、この治療法にも重大なリスクが存在することを示しています。

適切な患者選択と継続的な安全管理なくしては、治療効果よりもリスクが上回る可能性があることを、医療従事者並びにセラピーを受ける患者は深く理解する必要があります。

シロシビンとは何か

シロシビンは、特定のキノコに含まれる天然の化合物で、脳内のセロトニン受容体に作用します。体内で代謝されると、シロシンという活性物質に変化し、意識状態を大きく変化させる効果を持ちます。この作用により、従来の抗うつ薬では到達できない深層心理にアプローチできるとされています。

医療用途では、単なる薬物投与ではなく、専門的な心理療法と組み合わせて使用されます。治療セッション前の準備面談(準備セッション)、薬物作用中の継続的サポート(投与セッション)、そして事後の統合セッションまでを含む包括的なアプローチが特徴です

治療プロトコルの標準化

現在、シロシビン療法では「アクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー」(ACT)というアプローチが主流となっています。これは、患者が困難な感情や思考を受け入れながら、価値に基づいた行動を取れるよう支援する治療法です。

標準的な治療プロトコルでは、各セッションで15-30mgのシロシビンを使用し、必要に応じて追加投与を行います。治療中は専門的な訓練を受けたセラピストやファシリテーターが常に患者に付き添い、安全性を確保します。

スイス・バーゼル大学の症例報告の詳細

スイス・バーゼル大学の症例報告の詳細

2025年1月、精神医学分野で権威ある学術誌「Psychiatry Research」に、シロシビン療法後の患者自殺という深刻な症例が報告されました。この報告は、治療の安全性について重要な示唆を与えています。

患者背景と治療歴

症例の患者は60歳男性で、20年間にわたって再発性うつ病に苦しんでいました。

これまでに複数の抗うつ薬、リチウム、オランザピンなどの薬物療法、さらには反復経頭蓋磁気刺激法(rTMS:repetitive Transcranial Magnetic Stimulationは、主にうつ病などの精神疾患や難治性疾患に対して行われる非侵襲的な脳刺激治療法)まで試していましたが、症状の大幅な改善は見られませんでした。

特に注目すべきは、この患者が過去に精神病性うつ病の既往があったことです。貧困妄想や毒殺妄想といった症状を経験しており、これがシロシビン治療における重要なリスク要因となりました。

治療経過と予期せぬ反応

治療は2023年9月から始まり、計4回のセッションが実施されました。第1回と第2回では、それぞれ15mg+5mg、30mg+10mgが投与されましたが、期待された急性効果は現れませんでした。患者は治療に対して回避的な態度を示し、内的・運動的不安を呈していました。

興味深いことに、医療チームと患者の周囲では、治療後にわずかな改善が観察されたとされています。患者はより共感的で感情的に存在感があり、意欲も向上したように見えたようでした。しかし、これらの改善は表面的なものに過ぎませんでした。

最終セッション後の悲劇的結果

2023年冬に実施された第4回セッションでは、20mgのシロシビンが投与されました。この時、これまでで最も強い急性効果が現れ、患者は激しい怒りの感情を表出したとのこと。翌日、患者は友好的で親しみやすい様子を見せ、自殺念慮を否定していたと報告されています。

しかし、退院後に状況は急変してしまいます。患者は自分が「何か悪いことをした」と感じ、治療セッション中の感情表出について恥の感情を抱いていたことが判明しました。不幸なことに、退院から2日後、患者は首への刃物による自傷で命を絶ってしまったのです。

なぜこのような結果が起こったのか

なぜこのような結果が起こったのか

この悲劇的な結果には、複数の要因が複合的に関与していたと考えられます。単一の原因に帰属させることはできませんが、いくつかの重要な要因を特定することができます。

複数のリスク要因の重複

まず第一に、患者には自殺の高リスク要因が複数存在していました。

例えば、男性である点、入院治療からの退院直後である点、仕事への不安といった実存的恐怖、そして対人関係の葛藤などです。これらの要因が重複することで、自殺リスクが大幅に高まっていた可能性があります。

さらに、精神病性うつ病の既往は、物質誘発性精神病症状に対する脆弱性を高めていた可能性があります。シロシビンによって引き起こされた強烈な感情体験が、患者の心理的安定性を著しく損なった可能性が示唆されています。

治療者との信頼関係の課題

この症例で特に注目すべきは、治療チーム全体を通じて患者との強固な治療関係を築くことが困難だったと報告されている点です。

患者の内的体験にアクセスすることが一貫して困難であり、これがリスクサインの見落としにつながった可能性があります。

また、患者は治療チームに対して完全に透明性を保っていなかったことも判明しています。自殺念慮や攻撃的行動について、社会的環境と医療チームの間で認識に大きなずれがありました。患者が病院への強制入院を恐れて、重要な症状を隠していた可能性が高いと考えられます。

シロシビン療法の安全性を高めるために

シロシビン療法の安全性を高めるために

この症例から得られる教訓を基に、シロシビン療法の安全性を向上させるための具体的な方策を考える必要があると言えるでしょう。いくつか紹介したいと思います。

適応患者の慎重な選択

精神病性症状の既往がある患者については、より慎重なアプローチまたは治療の除外を検討すべきです。

特に、現実検討能力に問題がある患者や、過去に幻覚妄想状態を経験した患者では、シロシビンによる意識変容がさらなる精神的不安定化をもたらすリスクが高くなります。統合失調症や境界性パーソナリティ障害がある場合は禁忌とされています。

また、治療者との信頼関係を築くことが困難な患者についても、慎重な評価が必要です。サイケデリック療法の安全性は、治療者(ファシリテーター)と患者の間の強固な治療同盟に大きく依存しているためです

必要に応じて、何度も準備セッションを設けたり、場合によっては、別のファシリテーターとのセッションを検討すべきケースも考えられます。

長期的フォローアップ体制の構築

サイケデリック使用後の感情調節不全や心理的不安定化は、数日から数週間続く可能性があることが知られています。そのため、治療セッション後の継続的なモニタリング体制の構築が不可欠です。

特に複雑な精神医学的既往を持つ患者については、外来治療ではなく入院環境での治療実施を検討すべきかもしれません。一時的な心理的不安定化に対して、迅速かつ適切な対応が可能な環境の確保が重要です。加えて、周囲のサポート環境が構築されていることも重要だと言えるでしょう。

まとめ:シロシビン療法の可能性とリスクのバランス

シロシビン療法は確かに治療抵抗性うつ病に対する希望の光となる可能性を秘めています。しかし、この治療法が万能薬ではないことを、今回の症例は明確に示しています。

スイスの限定医療使用プログラムでは、過去10年間で約1000件の特別許可が与えられ、2000回以上のセッションが実施されましたが、このような重篤な有害事象は知られていませんでした。

重要なのは、この治療法の潜在的な有効性と、適切に管理されない場合のリスクの両方を理解することです。患者選択の慎重さ、治療プロトコルの標準化、長期フォローアップ体制の確立、そして何よりも治療者と患者の間の信頼関係の構築が、安全で効果的なシロシビン療法の実現には不可欠です。

サイケデリック治療が主流医療に統合されていく過程で、このような困難な症例から学び、より安全で効果的な治療プロトコルを開発していくことが、医療従事者、そして患者自身としての責務と言えるかもしれません。

Müller, F., Sauer, T., Hänny, C., Mühlhauser, M., & Lang, U. E. (2025). Suicide of a patient shortly after psilocybin-assisted psychedelic therapy: A case report. Psychiatry research345, 116381. https://doi.org/10.1016/j.psychres.2025.116381

本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。

この記事を書いた人
Yusuke

米国リベラルアーツカレッジを2020年心理学専攻で卒業。大手戦略コンサルティングファームにて製薬メーカーの営業・マーケティング戦略立案に従事するなかで、従来の保険医療の限界を実感。この経験を通じて、より根本的な心身のケアアプローチの必要性を確信し、サイケデリック医療を学ぶ。InnerTrekにてオレゴン州認定サイケデリック・ファシリテーター養成プログラム修了(Cohort 4)。

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