LSDがドクター・ストレンジを生んだ?|マーベル作品とサイケデリック

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なぜマーベルの人気キャラクター、ドクター・ストレンジは、これほどまでにサイケデリックな世界観を持つのでしょうか。実は、その誕生には作家のLSD体験が深く関わっていました。本記事では、1970年代のマーベル・コミックスとサイケデリックの驚くべき関係、そして現代のMCUにまで受け継がれるその影響について紹介します。

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マーベル・コミックスとサイケデリックの深い関係

マーベル・コミックスの黄金期を築いた作家たちは、創造性を高めるためにサイケデリック物質を使用していたと言います。これは都市伝説といった類いのものではなく、実際に作家本人が語っている事実です。

1970年代、アメリカでは意識の拡張や東洋思想への関心が高まり、カウンターカルチャーが花開いていました。例えば音楽では、グレイトフル・デッドやビートルズがサイケデリックを取り入れた作品を発表し、文学界ではケン・キージーやオルダス・ハクスリーといった作家たちが意識の探求を続けていました。コミック界もまた、この文化的潮流から無縁ではありませんでした。特にマーベルでは、若い世代のクリエイターたちが従来の枠組みを超えようと試みていました。

ドクター・ストレンジは、まさにこの時代精神を体現するキャラクターとして生まれ変わりました。最高神術師という設定は、「他の誰も知らない知識を持つ者」を描くことを意味します。そして、その「誰も知らない領域」にアクセスするために、作家たちは自らの意識を拡張する必要があったのです。

ドクター・ストレンジ誕生の背景:作家の創造的実験

スティーブ・イングルハートとサイケデリック体験

ドクター・ストレンジの1970年代における復活と人気を決定づけたのが、作家スティーブ・イングルハートとアーティストのフランク・ブルーナーのコンビでした。イングルハートは自身のLSD使用について率直に語っており、それが創作活動に与えた影響を明確に認めています。

彼が語るところによれば、「物語を考え出すのが私の仕事であり、心を拡張するものは何でも貴重」だったといいます。サイケデリックは、既に存在する脳の部分を活性化したり刺激したりするだけだという彼の考えは、現代の神経科学の知見とも一致しています。つまり、LSDは何か外部から新しいものをもたらすのではなく、私たちの内側に既に眠っている可能性を解放するのです。

イングルハートは、LSDによって「明確な始まり、中盤、終わりを持つ物語」が直接浮かんでくるわけではないと説明します。しかし、それによって得られた柔軟性と拡張された視野は、様々な要素を組み合わせて物語を紡ぐ能力を高めたと語ります。作家として「どこからでもアイデアを得る」ためには、その「どこか」をできるだけ広大にする必要があったのです。

1970年代のカウンターカルチャーとコミック界

1970年代初頭、マーベルには新しい世代のクリエイターが流入していました。イングルハート、スティーブ・ガーバー、フランク・ブルーナー、ジム・スターリンなど、20代の若者たちは互いに交流しながら、コミックの境界線を押し広げようとしていました。

彼らが目指したのは、単に子供向けのエンターテイメントではなく、20代から30代の読者にも響く、より深い内容でした。当時のコミック規定の下でも、彼らは巧みに象徴やメタファーを用いて、意識の拡張や実存的なテーマを描き出したのです。

読者側もまた、この時代を生きる同世代として、作品に込められたメッセージを理解する準備ができていました。サイケデリックや大麻へのアクセスがある程度一般化していた時代背景において、作家と読者の間には共通言語が存在したのです。

LSDが生み出したストーリーテリング

意識の拡張を描いた物語構造

1974年に発表された『ドクター・ストレンジ』第2シリーズの第1号は、その代表例です。

ストレンジは巨大化したウサギに遭遇し、悪役に刺され、アガモットの宝珠という暗黒の魔法の次元へと引き込まれます。そこで彼を待っていたのは、巨大なキノコの上に座り、水タバコを吸う巨大なイモムシでした。

これは明らかにルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を想起させる設定です。実際、物語の中でストレンジ自身が、自分の心の中にあるキャロルの本の知識がこれらのビジュアルを生み出していることを認識します。「サイケデリック」という言葉の語源が「心を明らかにする」「心を現す」を意味することを考えれば、これ以上に適切な表現はないでしょう。ちなみに『不思議の国のアリス』もサイケデリックな物語として知られています。

この物語では、ストレンジが自らの死と向き合い、「死」は恐れるべき悪意ある力ではなく、魂にとって本質的なものだと悟る場面が描かれます。死を受け入れることで、彼は「永遠」への扉を開くのです。この描写は、現代のサイケデリック療法における終末期不安の治療研究と驚くほど重なります。

アリスの国からの影響

先述したように、『不思議の国のアリス』は、サイケデリック文化において最も頻繁に引用される作品の一つです。キャロル自身がサイケデリックを使用していたという確固たる証拠はありませんが、作品の幻想的なイメージは世代を超えて多くの芸術家を魅了してきました。

イングルハートとブルーナーがこの作品を引用したのは、単なるオマージュではありません。心を拡張することの重要性を、コミックの創作者、キャラクター、そして読者の三者すべてにとって強調するための、完璧な選択でした。ストレンジの体験は、彼自身の潜在意識から生まれたものであり、これはイングルハートのサイケデリック観―それは既に存在する脳の部分を活性化するだけだという考え―と完全に一致しています。

MCUに受け継がれるサイケデリックのビジョン

映画『ドクター・ストレンジ』のビジュアル表現

2016年に公開された映画『ドクター・ストレンジ』は、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に新たな次元をもたらしました。都市の風景が折り重なり、鏡の次元が展開される映像は、観客を圧倒し、アカデミー賞視覚効果賞にノミネートされるほどの評価を得ました。

イングルハートは、ベネディクト・カンバーバッチのキャスティングについて「彼は常に賢い役を演じており、ドクター・ストレンジは部屋で最も賢い人物、誰よりも多くを知る者だから」と評価しています。映画は、エゴに満ちた神経外科医が交通事故で手の機能を失い、その喪失が彼を謙虚にさせ、より深いスピリチュアルな旅へと導くという物語を描きました。

これは多くのサイケデリック探求者の旅のメタファーでもあります。エゴを手放すことで、私たちはより大きな自己、あるいは永遠なる部分と触れることができるのです。

ブラックパンサーとハート型のハーブ

2018年の『ブラックパンサー』では、ハート型のハーブという幻覚作用を持つ植物が登場します。このハーブは使用者を先祖の次元へとアクセスさせ、同時に超人的な力を授けるという設定でした。

MCUは『ドクター・ストレンジ』以降、意識の拡張や異次元へのアクセスというテーマをより明確に扱うようになりました。これは1970年代のコミックが開拓した領域を、現代の技術と語り口で再解釈したものといえるでしょう。

アートと癒しの接点:現代への示唆

創造性とサイケデリック

イングルハートの体験は、サイケデリックがアーティストにとって持つ可能性を示しています。彼は「自分の欠点を見ることができた」と語り、それによって個人的な成長を遂げたといいます。ただし、彼は誰もが同じ体験をするわけではないことも認めています。「誰もの心は違う。私は常に良い時間を過ごした。バッドトリップは一度もなかった。しかし、バッドトリップを経験した人も知っている」と。

音楽、美術、文学、そしてコミック―あらゆる芸術分野において、サイケデリックは創造性の源泉となってきました。ビートルズ、ヨーコ・オノ、アレックス・グレイ、ウィリアム・S・バロウズなど、数え切れない芸術家がサイケデリックからインスピレーションを得ています。

サイケデリック療法の可能性

現代では、シロシビン(マジックマッシュルームに含まれる成分)やLSDの医療利用に関する研究が急速に進んでいます。COMPASS Pathwaysなどの企業が、うつ病やPTSDに対するサイケデリック療法の臨床試験を実施しています。

イングルハートは、セラピストの指導下で行うサイケデリック体験について、「一方では、より賢明に思える。他方では、私はそういった指導を望んだかどうかわからない」と複雑な思いを語ります。しかし、メンタルヘルス危機が深刻化する現代において、この分野の研究が進むことは重要だと考えています。

サイケデリックはすべての人に効果があるわけではありませんが、適切な環境と指導のもとで使用されれば、多くの人々の癒しに貢献する可能性を秘めているのです。

まとめ:ポップカルチャーに刻まれたサイケデリックの遺産

ドクター・ストレンジの物語は、サイケデリックが文化に与えた影響の象徴的な例です。1970年代のコミック作家たちは、意識の拡張を通じて得た洞察を作品に注ぎ込み、世代を超えて愛されるキャラクターを生み出しました。

イングルハートが語るように、サイケデリックは「心をより柔軟に、より大きく」することで、創造性を高める可能性を持っています。それは新しいアイデアを外部から持ち込むのではなく、私たちの内側に既に存在する可能性を解放するのです。

現代のMCUにおける視覚的な表現や物語のテーマは、50年前のコミック作家たちが開拓した領域の延長線上にあります。そして、サイケデリック療法の研究が進む今、アートと癒しの接点はさらに明確になりつつあるのです。

ドクター・ストレンジという一人のキャラクターの中に、私たちは意識の探求、創造性の源泉、そして人間の可能性についての深い問いかけを見ることができます。それは、サイケデリックという物質が持つ力ではなく、人間の心が本来持っている無限の可能性を示しているのかもしれません。

Psychedelics. (2024, December 4). Strange Origins, How Marvel writers were inspired by LSD. Psychedelics.com. https://www.psychedelics.com/articles/doctor-strange-steve-englehart-and-lsd/

本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。

この記事を書いた人
Yusuke

米国リベラルアーツカレッジを2020年心理学専攻で卒業。大手戦略コンサルティングファームにて製薬メーカーの営業・マーケティング戦略立案に従事するなかで、従来の保険医療の限界を実感。この経験を通じて、より根本的な心身のケアアプローチの必要性を確信し、サイケデリック医療を学ぶ。InnerTrekにてオレゴン州認定サイケデリック・ファシリテーター養成プログラム修了(Cohort 4)。

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