サイケデリック療法の治療効果を左右する「神秘体験」は、科学的検証が難しく、研究者を哲学的ジレンマに陥れてきました。本記事では、ニューヨーク州立大学の研究者が提案する「神秘体験フィクショナリズム」という革新的なアプローチを紹介します。
サイケデリック療法における神秘体験の科学的ジレンマ

サイケデリック療法の研究において、神秘体験は治療効果と強く相関することが明らかになっています。シロシビンやその他のサイケデリック物質を用いた治療では、被験者が体験する神秘的な感覚の強度が、うつ病、PTSD、依存症などの症状改善と統計的に関連しているのです。
しかし、ここには重大な問題が潜んでいます。神秘体験という概念は、科学的検証の基本原則である「反証可能性」を満たしにくいのです。ある人が「深遠で神聖なものを体験した」と報告したとき、他の観察者がそれを確認することも否定することもできません。これは哲学者カール・ポパーが指摘した、科学的仮説が満たすべき条件から外れてしまいます。
神秘体験質問票(Mystical Experiences Questionnaire)を用いた測定でも、再現性に課題があります。同じ用量のシロシビンを投与しても、時と場合によって体験の内容は大きく異なることが、ジョンズ・ホプキンス大学のマクリーン博士らの研究で示されています。この変動性こそが、何世紀にもわたる「セットとセッティング」理論の根拠となってきました。
さらに、研究資金の申請においても、「神秘的意識のサイケデリック宗教」を信じているかのような印象を与えることは、懐疑的な評価者からの支持を得にくくする可能性があります。一方で、神秘体験が治療効果に不可欠だとする研究者もおり、この議論は分野の発展において重要な論点となっています。
神秘体験フィクショナリズムとは何か

ニューヨーク州立大学オルバニー校のブラッドリー・アーマー・ガーブ博士とミッチェル・アーリーワイン博士は、この哲学的ジレンマに対する革新的な解決策として「神秘体験フィクショナリズム」を提案しました。
フィクショナリズムとは、哲学において、ある概念の実在を主張せずとも、それを「あたかも実在するかのように扱う」ことで理論的利点を得るアプローチです。これは決して神秘体験そのものを否定するものではありません。むしろ、体験の報告を真実として扱いながら、「神秘的なもの」の存在論的主張を回避する方法なのです。
このアプローチの核心は、「表現上の利点」にあります。患者が神秘体験を報告するとき、そして研究者がそれを記述するとき、両者は真実を語ることができます。たとえ神秘体験自体が客観的に検証可能でなくとも、です。
数学的フィクショナリズムからの示唆
この考え方は、数学哲学におけるハートリー・フィールドの理論から着想を得ています。フィールドは唯名論者として、数という抽象的対象の存在を否定しながらも、数学的言明を有用なものとして扱う方法を示しました。
例えば「2+3=5」という文は、厳密には偽だとフィールドは主張します。なぜなら「2」「3」「5」という数は実在しないからです。しかし「数学の物語によれば、2+3=5」という文は真です。なぜなら数学体系内でこの等式は成立するからです。
重要なのは、「数学の物語によれば」という前置きが「非事実的」だという点です。言語学において、動詞が事実的であるとは、その目的語に事実の地位を与えることを意味します。例えば「知る」は事実的動詞です。「サムがpを知っている」が真なら、「p」も真でなければなりません。一方「信じる」は非事実的です。「サムがpを信じている」が真でも、「p」が真である必要はありません。
「私の体験によれば」という視点
神秘体験質問票の項目「深遠で神聖なものを体験したと感じた」に対する回答を考えてみましょう。哲学者や懐疑論者は、深遠で神聖なものなど存在しないため、この文は偽だと主張するかもしれません。
しかしフィクショナリスト的読解では、これを「私の体験によれば、深遠で神聖なものが起こったと感じた」と解釈します。「私の体験によれば」は非事実的演算子であるため、この文は「深遠で神聖なもの」が実在しなくとも真となりえます。
興味深いことに、神秘体験質問票の実際の指示文は「その時のあなたの感情、思考、体験について」と述べており、暗黙的にこのフィクショナリスト的アプローチを認めているとも解釈できます。参加者は神秘的なものへの存在論的コミットメントを求められていないのです。
治療効果への応用と実践的意義

この哲学的枠組みは、サイケデリック療法の臨床実践と研究において、複数の実践的利点をもたらします。
まず、神秘模倣的モデルの批判者は、研究者が「宗教に転向した」わけではないことを理解できます。逆に、支持者も批判者を「神秘恐怖症」と非難する必要がありません。研究者は非事実的な前置き演算子を伴った神秘体験の見解を支持できるのです。
このアプローチはまた、構成概念とその相関要因への取り組みを柔軟にします。神秘体験と情動的ブレイクスルー、心理的洞察、認知的柔軟性、機能不全的態度との弁別妥当性の検討も、より開かれた視点で行えます。ブレイクスルー体験の二分法的性質も、この観点から再検討しやすくなるでしょう。
認知行動療法との統合
このアプローチは、サイケデリック療法の効果を高めることが示されている認知行動療法と特に相性が良いと言われています。ケタミン治療における研究や、シロシビン療法におけるアクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー(ACT)の応用がその例です。
これらの介入法は、クライアントに自身の認知を「仮説」として扱うよう促します。つまり、「真理」としてではなく、検証可能な、あるいはより軽く受け止められる考えとして扱うのです。あらゆる認知を、クライアントが検証したり、深刻に受け止めることを選択できるまで、非事実的な前置き演算子を伴った広範なフィクショナリスト的見解の一部とみなせます。
重要なのは、思考の変化が複数の治療法において抗うつ効果を媒介することが示されている点です。これはサイケデリック物質を用いない治療においても同様です。禁止主義者や神秘恐怖症の人々、あるいは急性の主観的体験の変化について不安を感じる人々との議論において、このアプローチは関連する変化を広範な思考の変化の一部として提示できます。
研究における利点
このアプローチは、より少ない懸念を生み、科学哲学から生じる問題を回避し、研究者や臨床家がサイケデリック療法の応用を洗練させるのを助けます。
さらに、このフィクショナリスト的視点は、神秘体験の相関要因について新たな検討を促す可能性があります。これらの相関要因が効果の媒介変数として機能するかもしれず、フィクショナリスト的アプローチを必要としない同等の説明力を持つモデルを生み出す可能性もあります。
つまり、この哲学的枠組みは、最終的には自らを不要にするような新しい研究の方向性を開く可能性を秘めているのです。神秘体験の報告と相関する、より測定可能で検証可能な要因が特定されれば、治療メカニズムの理解はさらに深まるでしょう。
まとめ:神秘体験の新しい理解がもたらす未来
サイケデリック療法における神秘体験フィクショナリズムは、科学的厳密性と臨床的有用性のバランスを取る革新的なアプローチです。このフィクショナリスト的読解により、患者の体験報告を真実として尊重しながら、「神秘的なもの」の存在論的主張という哲学的負担を回避できます。
「私の体験によれば」という非事実的演算子を用いることで、研究者は認識論的謙虚さを保ちながら、神秘体験という構成概念の治療的価値を探求し続けることができます。これは、反証可能性という科学の基本原則を損なうことなく、サイケデリック療法の研究を前進させる道を開きます。
また、このアプローチは認知行動療法やACTといった既存の心理療法との統合を容易にし、サイケデリック療法をより広い治療文脈に位置づけることを可能にします。思考を仮説として扱う認知療法の原則と、体験を「あたかも実在するかのように」扱うフィクショナリズムの間には、深い親和性があるのです。
最終的に、神秘体験フィクショナリズムは、サイケデリック療法の科学的基盤を強化し、より多くの研究者や臨床家がこの有望な治療法に取り組みやすい環境を作り出す可能性を秘めています。神秘的なものの存在を主張せずとも、その治療的力を認め、研究し、活用できる。これこそが、このアプローチが提供する最大の価値なのです。
Garb, B. A., & Earleywine, M. (2022). Mystical experiences without mysticism: An argument for mystical fictionalism in psychedelics. Journal of Psychedelic Studies, 6(1), 48–53. https://doi.org/10.1556/2054.2022.00207
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。


