カナダで革新的な臨床試験モデルが始動し、サイケデリック療法の研究に新しい風を吹き込んでいます。患者自身が研究費用を負担し、研究デザインにも関与するこの画期的なアプローチは、従来の製薬会社主導の研究が抱える課題を解決する可能性を秘めています。本記事では、カナダの非営利団体TheraPsilが主導する患者資金調達型臨床試験「PsilWell」と、この新しい研究モデルがサイケデリック療法の未来にもたらす影響について紹介します。
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患者が研究を主導する新しいモデルが誕生

従来の臨床研究は、主に2つの資金源に依存してきました。一つは大学などの学術機関による研究助成、もう一つは製薬会社による商業的研究です。しかし、これらのモデルにはそれぞれ大きな課題があります。
学術研究は資金不足により進行が遅く、政府からの助成金獲得は極めて困難です。さらに、サイケデリックに対する偏見が根強く残っているため、十分な資金を確保することはさらに難しくなっています。一方、製薬会社主導の研究は特許取得可能な化合物の開発に重点を置くため、天然のシロシビンのような特許化できない物質への投資意欲は低い傾向にあります。
こうした状況の中、カナダの非営利団体TheraPsilは、第三の道として「患者資金調達型モデル」を開発しました。このモデルでは、治療を受けたい患者自身が研究費用を負担することで、臨床試験への参加と治療アクセスの両方を実現します。研究費用を負担することで、患者たちは単なる被験者ではなく、研究の「ステークホルダー」として研究デザインや方向性に発言権を持つことができるのです。
TheraPsilは2019年以来、カナダにおけるサイケデリック療法へのアクセス拡大を目指して活動してきました。同団体は、がん患者など終末期の患者がシロシビンにアクセスするための法的支援を行い、これまでに約50名の患者と医療専門家がSection 56(法的免除)を通じてシロシビンにアクセスできるよう支援してきました。しかし、このプロセスには最大6ヶ月の待機期間があり、費用も約5,000ドルに上ることが課題でした。
PsilWell臨床試験:ウェルネス向上を目指す画期的研究

TheraPsilとCRO(医薬品開発業務受託機関)であるHippo Scienceが共同で実施する「PsilWell」は、シロシビン支援グループ療法がウェルネス(健康的な生活)の各領域にどのような影響を与えるかを探求する第2相臨床試験です。この研究の最も革新的な点は、特定の精神疾患の診断を参加条件としていないことです。
従来のサイケデリック療法の臨床試験は、うつ病やPTSDなど特定の診断を持つ患者のみを対象としてきました。しかし、PsilWellでは「安全性」のみを参加基準としています。心血管疾患や精神病性障害の既往歴がなく、18歳から65歳までの成人であれば、現在健康な人も、何らかの課題を抱えている人も参加可能です。これは、製薬会社が市場性の高い特定の適応症に焦点を絞る従来のアプローチとは大きく異なります。
研究では、世界保健機関(WHO)が定義するウェルネスの概念を採用しています。WHOは1948年にウェルネスを「身体的、精神的、社会的に良好な状態であり、単に病気や虚弱でないことではない」と定義し、2006年にはこれを拡張して、身体的、心理的、社会的、精神的、経済的な各領域における個人の潜在能力の実現としています。PsilWellでは、これらの多次元的なウェルネスの側面を包括的に測定します。
試験デザインは、6名のグループで実施される3回の準備セッション、30〜35mgのシロシビン投与セッション(6〜8時間)、そして3回の統合セッションから構成されています。参加者は、SF-36(生活の質に関する質問票)、PROMIS(患者報告アウトカム測定情報システム)、WHO QOL-100(生活の質評価)などの自己報告式質問票を通じて、自身のウェルネスの変化を報告します。
従来の製薬会社主導モデルとの違い

患者資金調達型モデルの最大の利点は、研究の民主化にあります。
従来の製薬会社主導の研究では、株主の利益が最優先され、研究デザインは市場性や収益性に基づいて決定されます。その結果、特許取得可能な新規化合物の開発が優先され、治療効果を最大化するよりもコスト削減が重視される傾向があります。
例えば、ケタミンの鼻腔スプレー製剤「Spravato」は、本来安価なケタミンを高額な医薬品として販売し、必要な心理療法の時間を最小限に抑えることで承認を得ました。同様に、製薬メーカー主導のMDMA療法やシロシビン療法の研究でも、長期的な治療効果よりも短期的な効果と承認のスピードが優先され、心理療法の時間を削減する傾向が見られます。
これに対し、PsilWellでは参加費用4,500カナダドルで、すべての療法セッション、医学的評価、臨床ケア、そして研究への貢献が含まれています。TheraPsilによれば、このモデルにより研究コストを当初の患者一人あたり約30,000ドルから3,000ドル程度にまで削減することができたとのこと。これは「規模の経済」を活用し、継続的に患者を受け入れることで実現しています。
さらに重要なのは、このモデルではすべての研究データがオープンソースとして公開されることです。製薬会社主導の研究では、データは企業の資産として保護され、他の研究者と共有されることはほとんどありません。しかし、患者資金調達型モデルでは、データの所有権は患者とコミュニティにあり、すべての研究者がこのデータにアクセスして更なる研究を構築することが可能。これにより、サイケデリック療法の分野全体が加速度的に発展する可能性があります。
この新モデルが持つ可能性と課題

患者資金調達型モデルは、サイケデリック療法研究の未来に大きな影響を与える可能性があります。
まず、このモデルは研究の多様化を促進します。製薬会社が興味を示さない適応症、例えばアルコール使用障害、群発頭痛、慢性疼痛なども研究対象となり得ます。また、どの程度の心理療法が最も効果的か、どのような環境設定が望ましいかなど、患者が本当に知りたい疑問に答える研究が可能になります。
さらに、このモデルは研究の速度を加速させます。従来のモデルでは、次の資金調達ラウンドを待つ間に研究が数年間停滞することがありました。しかし、患者資金調達型モデルでは、治療を求める患者がいる限り、研究は継続的に進行します。需要と供給の原理が機能し、持続可能な研究エコシステムが構築されるのです。
しかし、このモデルには課題も存在します。
最も大きな課題は経済的アクセスの問題です。4,500ドルという参加費用は、多くの人々にとって大きな負担となります。TheraPsilは将来的に奨学金制度や公平性を重視したグループへの無償アクセスを提供することを目指していますが、現時点ではパイロット研究段階のため、財政的支援は提供されていません。
この課題に対する一つの解決策は、非営利団体や慈善団体からの資金調達です。例えば、ウェルネスや終末期ケアに焦点を当てた慈善団体が研究費の一部を負担すれば、患者の費用負担を半減させることができます。また、研究を通じて生成される安全性データは、最終的にはシロシビンの合法化と規制緩和につながる可能性があり、これは社会全体にとって価値のある投資となります。
日本への示唆としては、このモデルは日本における将来的なサイケデリック研究の参考となり得ます。日本では現在、サイケデリック物質は厳しく規制されていますが、グローバルな研究動向と規制緩和の波を受けて、将来的には臨床研究の可能性が開かれるかもしれません。その際、製薬会社主導のモデルだけでなく、患者やコミュニティが中心となる研究モデルの選択肢があることを知っておくことは重要です。
まとめ:患者中心の研究が切り開く新しい道
カナダのTheraPsilが開発した患者資金調達型臨床試験モデルは、サイケデリック療法研究における画期的なアプローチです。このモデルは、従来の製薬会社主導の研究が抱える高コスト、データの囲い込み、患者ニーズとの乖離といった課題に対する解決策を提供しています。PsilWell臨床試験は、特定の診断に縛られない包括的なウェルネス研究として、サイケデリック療法の新しい可能性を探求しています。
研究の民主化、データのオープン化、そして患者の声を中心に据えたデザインは、サイケデリック療法の分野だけでなく、医療研究全体に新しいモデルを示しています。経済的アクセスという課題は残されていますが、非営利団体や慈善団体との協力、そして継続的なコスト削減の努力により、より多くの人々がこの革新的な研究に参加できる未来が期待されます。シロシビンを含むサイケデリック物質の合法化と適切な規制の実現に向けて、患者主導の研究モデルは重要な役割を果たしていくかもしれません。
TheraPsil. (2024). About PsilWell clinical trial. Retrieved from https://www.therapsl.ca/clinical-trial
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。


