脳卒中で失われた運動機能の回復に、マジックマッシュルームに含まれるシロシビンが新たな希望をもたらす可能性が明らかになりました。ジョンズ・ホプキンス大学が開始した世界初の臨床試験PHATHOM研究では、シロシビンが脳の「クリティカルピリオド」を再開し、従来不可能とされた慢性期での機能回復を実現する革新的治療法について紹介します。
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シロシビンが脳卒中回復の常識を変える理由

脳卒中によって失われた運動機能は、発症から数か月が経過すると回復が著しく困難になります。この医学的常識を覆す可能性を秘めているのが、シロシビンを用いたサイケデリック療法です。ジョンズ・ホプキンス大学が2025年に開始したPHATHOM(Psychedelic Healing: Adjunct Therapy Harnessing Opened Malleability)研究は、脳卒中から数年が経過した患者でも、シロシビンによって神経可塑性の窓を再び開くことで、運動機能の回復が可能になることを実証しようとしています。
この画期的なアプローチは、従来の「発症から6か月以内が回復のゴールデンタイム」という概念を根本から変える可能性があります。現在、全世界で年間約1,500万人が脳卒中を発症し、そのうち約500万人が永続的な後遺症に苦しんでいます。日本においても年間約30万人が新たに脳卒中を発症しており、高齢化社会における重要な医療課題となっています。
従来治療法の限界を突破する新アプローチ

シロシビンによる脳卒中治療の最大の特徴は、慢性期患者への適用可能性です。これまでの理学療法や作業療法は、急性期から亜急性期(発症から3~6か月)での効果は認められていたものの、慢性期に入ると劇的な改善は期待できませんでした。しかし、シロシビンは脳の神経回路を一時的に「リセット」し、新しい神経接続の形成を促進することで、時間の壁を超えた回復を可能にすると考えられています。
脳卒中後の運動機能回復における従来の限界

脳卒中は「脳の心筋梗塞」とも呼ばれ、血管の詰まりや破裂によって脳組織への酸素供給が断たれることで発症します。損傷を受けた脳領域は回復不可能ですが、健常な脳領域が代償的に機能を引き継ぐことで、ある程度の回復が期待できます。この代償機能は「神経可塑性」と呼ばれる脳の持つ驚異的な適応能力によって実現されます。
クリティカルピリオドの概念と治療の時間制限
神経科学において「クリティカルピリオド」とは、脳が外部からの刺激に対して特に敏感に反応し、新たな神経接続を形成しやすい限定的な期間のことを指します。小児期に言語習得が容易な理由も、この期間中は脳の可塑性が最大化されているためです。脳卒中後においても、発症直後から数か月間はクリティカルピリオドが自然に開かれ、集中的なリハビリテーションによって機能回復が期待できます。
しかし、このクリティカルピリオドは徐々に閉じていき、慢性期に入ると新たな神経回路の形成は困難になります。従来の医学では、一度閉じたクリティカルピリオドを再び開く有効な手段は存在しませんでした。この医学的限界が、多くの脳卒中患者が慢性的な運動障害を抱え続ける原因となっていました。
現在の標準治療とその課題
現在の脳卒中治療は、大きく3つの段階に分けられます。第一段階は急性期治療で、血栓溶解療法や機械的血栓回収術などによって血流を回復させ、脳組織の壊死を最小限に抑えることを目的とします。第二段階は亜急性期管理で、再発防止と合併症予防に重点が置かれます。そして第三段階が回復期リハビリテーションですが、ここで多くの患者が壁にぶつかります。
従来のリハビリテーションでは、反復的な運動練習によって残存する神経回路を強化することに依存していました。しかし、慢性期では神経可塑性が低下しているため、練習の効果は限定的です。多くの患者が「プラトー」と呼ばれる回復の停滞期に入り、それ以上の改善が見込めない状況に陥っていました。
シロシビンによる神経可塑性回復のメカニズム

シロシビンの脳卒中治療における革新性は、その独特な作用メカニズムにあります。シロシビンは体内でシロシンに変換され、主に5HT2A受容体に作用します。この受容体は大脳皮質に広く分布しており、認知機能や感覚処理、そして神経可塑性の調節に重要な役割を果たしています。
5HT2A受容体を通じた神経回路の再編成
5HT2A受容体の活性化は、細胞内カルシウム濃度の上昇を引き起こし、神経成長因子の発現を促進します。さらに、細胞外マトリックスの構造変化を誘発し、新たな樹状突起の伸長や シナプス形成を促進します。これらの変化は、通常は成人期には見られない胎児期や新生児期に特徴的な神経発達パターンを一時的に再現することになります。
ジョンズ・ホプキンス大学のGül Dölen博士らの研究では、シロシビンが「社会的報酬学習」のクリティカルピリオドを約2週間再開することが動物実験で確認されています。この発見は、運動学習においても同様の効果が期待できることを示唆しており、脳卒中患者の運動機能回復に応用できる可能性を示しています。
神経ネットワークの再構築と機能回復
シロシビンによって再開されたクリティカルピリオド中では、脳内の神経ネットワークが劇的に再構築されます。通常、成人の脳では神経回路が比較的固定化されているため、新たな学習や適応には時間がかかります。しかし、シロシビンの作用下では、この固定化された状態が一時的に解除され、幼少期のような学習能力が復活します。
特に重要なのは、損傷を免れた脳領域が、失われた機能を代償する新たな回路を形成しやすくなることです。例えば、左脳の運動野が損傷した患者では、右脳の対応する領域や、損傷部位周辺の健常組織が運動制御を代行する回路を構築することが可能になります。
PHATHOM研究:世界初のシロシビン脳卒中治療臨床試験

2025年9月に開始予定のPHATHOM研究は、シロシビンの脳卒中治療における安全性と有効性を検証する世界初の臨床試験です。この第1相試験には20名の慢性期脳卒中患者が参加予定で、主要評価項目は安全性の確認、副次的評価項目として運動機能の改善が評価されます。
革新的な研究プロトコル
PHATHOM研究の最大の特徴は、シロシビン単独ではなく、高強度のデジタル強化リハビリテーションとの組み合わせによる治療アプローチです。参加者はシロシビン投与後、約3~4週間にわたって集中的な運動療法を受けます。この期間は、シロシビンによって再開されたクリティカルピリオドと一致するよう設計されています。
研究チームは、セットとセッティング(薬物使用時の心理状態と環境)を慎重に管理します。シロシビン投与時には、作業療法士がサイケデリック・モニターとして同席し、患者の腕の動きや踊りをイメージするよう誘導します。この心理的サポートは、その後のリハビリテーション効果を最大化するために重要な要素となっています。
Rose Hill Life Sciencesとの戦略的パートナーシップ
PHATHOM研究は、ジョンズ・ホプキンス大学とRose Hill Life Sciencesの独占ライセンス契約によって実現しました。Rose Hill Life Sciencesは、世界初の合法的シロシビン輸出企業として、高品質なシロシビンの安定供給を担当しています。同社はジャマイカ、アメリカ、カナダに統合された事業拠点を持ち、シロシビンベースの治療法開発において業界をリードしています。
このパートナーシップにより、研究用シロシビンの品質管理と安全性が確保され、将来的な実用化に向けた基盤が整備されています。研究では25mgの単回投与と、12.5mgを2時間間隔で2回投与する2つのプロトコルが検討されており、最適な投与方法の確立も目指されています。
デジタル技術と組み合わせた革新的治療法

PHATHOM研究のもう一つの革新的側面は、「Bandit the Dolphin」と呼ばれるデジタル治療システムの活用です。このシステムは、ジョンズ・ホプキンス大学の工学・コンピューターサイエンス・アニメーションチームによって、脳卒中患者専用に開発されました。
Banditシステムの技術的特徴
Banditシステムは、120インチの大型プロジェクションスクリーンと高精度のモーションキャプチャ技術を組み合わせた没入型リハビリテーション環境です。患者の麻痺した腕の動きをリアルタイムで捉え、画面上のイルカ(Bandit)の動きとして視覚化します。これにより、患者は自分の腕の動きを通じて、バーチャルなイルカを操作し、さまざまな運動タスクを楽しみながら実行できます。
このシステムの優れた点は、従来の単調な反復練習とは異なり、ゲーム感覚で楽しみながら高強度の運動療法を継続できることです。また、デジタル技術により、患者の運動パフォーマンスを精密に測定・記録し、個々の進歩を客観的に評価することが可能になります。
Synergy Room:次世代リハビリテーション環境
患者がリハビリテーションを受ける「Synergy Room」は、脳卒中回復専用に設計された特別な治療環境です。研究チームはこの空間を「まるで専用のホテルルーム」と表現しており、患者がリラックスして治療に専念できるよう配慮されています。
この部屋では、患者は治療師と選択した家族以外には邪魔されることなく、集中的な治療を受けることができます。デジタル技術と快適な環境の組み合わせにより、従来のリハビリテーション施設では実現困難だった「高用量・高強度」の運動療法が可能になります。
従来療法との圧倒的な違い
通常の作業療法では、1日1~2時間程度の訓練が標準的ですが、PHATHOM研究では「クレージーな量の課題時間」と研究者が表現するほど集中的な訓練を実施します。これは、シロシビンによって再開されたクリティカルピリオドを最大限活用するために必要な強度です。
従来のリハビリテーションでは、患者のモチベーション維持が大きな課題でした。しかし、Banditシステムを使用することで、患者は自然に長時間の訓練を継続でき、その結果として大幅な機能改善が期待されます。
将来的な実用化に向けた課題と展望

PHATHOM研究の成功は、脳卒中治療のパラダイムシフトを引き起こす可能性がありますが、実用化に向けては複数の課題が存在します。最も重要な課題の一つは、治療の専門性と複雑性です。
治療提供体制の専門化
シロシビン療法の実用化には、薬物投与とリハビリテーションの両方における高度な専門化が必要です。セットとセッティングの管理、心理的サポート、そして高強度リハビリテーションの提供には、それぞれ専門的な訓練を受けたスタッフが必要になります。
さらに、シロシビンは現在多くの国で規制物質として分類されているため、治療提供には特別な許可と厳格な管理体制が要求されます。これらの要件を満たす医療機関の整備と、専門スタッフの養成が実用化の前提条件となります。
アクセシビリティと費用の問題
現在のPHATHOM研究プロトコルは、高度な設備と集中的な人的リソースを必要とするため、治療費用は相当高額になることが予想されます。Banditシステムのような最先端デジタル設備の導入コストに加え、専門スタッフによる数週間の集中治療には、現在の標準的リハビリテーションの数倍から数十倍のコストがかかる可能性があります。
この課題に対して、研究チームは治療の効率化と標準化を通じたコスト削減を検討しています。また、保険制度への適用についても、治療効果が実証されれば、長期的な介護費用削減効果を根拠として保険償還の可能性が議論されることになるでしょう。
規制環境の変化と承認プロセス
現在、アメリカやカナダの一部州では、シロシビンの医療利用に向けた規制緩和が進んでいます。特に、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、シロシビンを治療抵抗性うつ病に対する「画期的治療薬」として指定しており、脳卒中治療においても同様の迅速承認プロセスが適用される可能性があります。
日本においては、現在シロシビンは麻薬及び向精神薬取締法によって規制されていますが、海外での治療成果が蓄積されれば、医療用途での使用解禁が議論される可能性があります。ただし、これには相当な時間と慎重な検討プロセスが必要になると予想されます。
まとめ:脳卒中治療における新時代の到来
シロシビンを用いた脳卒中治療は、従来の医学的常識を覆す革命的なアプローチとして注目されています。ジョンズ・ホプキンス大学のPHATHOM研究は、この可能性を科学的に検証する世界初の臨床試験であり、その結果は全世界の脳卒中患者とその家族に新たな希望をもたらすことが期待されています。
クリティカルピリオドの再開という神経科学の最新知見と、デジタル技術を活用した高強度リハビリテーションの組み合わせは、脳卒中回復治療の新たなスタンダードとなる可能性を秘めています。特に、発症から数年が経過した慢性期患者でも機能改善が期待できるという点は、現在の医療体系における大きなブレークスルーです。
ただし、この革新的治療法の実用化には、安全性の確立、専門人材の育成、治療提供体制の整備、そして規制環境の整備など、多くの課題を克服する必要があります。PHATHOM研究の結果が、これらの課題解決に向けた重要な基盤データを提供することになるでしょう。
サイケデリック療法が脳卒中治療にもたらす変革は、単なる治療法の追加を超えて、私たちの脳と回復に対する理解を根本的に変える可能性があります。この分野の研究進展により、脳卒中による障害が「治療可能な状態」へと変わる日が到来するかもしれません。
Psychedelics for Stroke Healing with Steven Zeiler, MD, PhD — Psychedelic Medicine Podcast. (2025, September 4). Psychedelic Medicine Podcast. https://www.plantmedicine.org/podcast/psychedelics-for-stroke-healing-steven-zeiler-md-phd
Study details | NCT07053917 | Psychedelic Healing: Adjunct Therapy Harnessing Opened Malleability | ClinicalTrials.gov. (n.d.). https://clinicaltrials.gov/study/NCT07053917
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。