呼吸法とサイケデリック体験の科学的関係|脳科学が解明する意識変性の仕組み

研究

サイケデリック物質を使わずに、呼吸法だけで同様の意識変性状態を体験できることが科学的に証明されました。この画期的な研究は、サイケデリック療法の新たな可能性を示しています。本記事では、ブライトン・アンド・サセックス医科大学による最新研究を基に、呼吸法がもたらす脳の変化とその治療的意義について詳しく解説します。

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呼吸法がもたらすサイケデリック様体験の科学的証明

呼吸法がもたらすサイケデリック様体験の科学的証明

2025年8月にPLOS One誌に発表された「Neurobiological substrates of altered states of consciousness induced by high ventilation breathwork accompanied by music」と題した研究により、高換気呼吸法(High Ventilation Breathwork, HVB)がシロシビンなどのサイケデリック物質と同様の意識変性状態を誘発することが科学的に証明されました。この発見は、サイケデリック療法の分野に新たな地平を開く重要な成果といえます。

高換気呼吸法とは何か

高換気呼吸法とは何か

高換気呼吸法は、意図的に呼吸の速度や深さを増加させる呼吸技法の総称です。コンシャス・コネクテッド・ブリージングやホロトロピック・ブリースワークなどがその代表例で、これらの技法は音楽と組み合わせて実践されることが一般的です。

研究では、参加者が25分から30分間にわたって高換気呼吸を行い、その間の脳の変化と主観的体験を詳細に測定しました。呼吸によって血中の二酸化炭素濃度が低下し、これが脳血流の変化を引き起こすことで、意識の変性状態が生まれると考えられています。

まさに呼吸という身近な生理機能が、私たちの意識に劇的な変化をもたらす可能性を秘めているのです。これは古来から世界各地で行われてきた呼吸法の効果を、現代科学が裏付けた形となります。

脳血流の変化と意識の関係

脳血流の変化と意識の関係

研究チームは、磁気共鳴画像法(MRI)を用いて参加者の脳血流を測定し、驚くべき発見をしました。高換気呼吸によって脳血流が全体的に減少する中で、特定の脳領域における血流変化が意識変性体験の強度と密接に関連していることが明らかになったのです。

最も注目すべき発見は、左後頭頂弁蓋部と後部島皮質における脳血流の減少が、「海洋境界感覚」と呼ばれる神秘的体験の強度と相関していたことです。この海洋境界感覚とは、自己と外界の境界が曖昧になり、宇宙との一体感を感じる状態のことで、サイケデリック体験の中核的な要素とされています。

一方で、右側の扁桃体と海馬前部では血流が増加し、これが強い主観的体験と関連していました。扁桃体は感情処理を、海馬は記憶形成を司る部位として知られており、これらの活性化が深い内省的体験や感情の変化につながると考えられます。

心臓の変化が示すもの

心臓の変化が示すもの

脳の変化と同時に、研究チームは心拍変動性(HRV)の測定も行いました。心拍変動性とは、心拍と心拍の間隔の変動を示す指標で、自律神経系の活動状態を反映します。

研究結果では、呼吸法による意識変性体験の強度が高い参加者ほど、心拍変動性に特徴的な変化が見られました。これは交感神経系の活性化と副交感神経系の抑制を示しており、身体が「行動準備状態」に入っていることを意味します。

興味深いことに、この生理学的な緊張状態が、むしろポジティブな感情体験と結びついていたとのこと。これは「ホルメシス効果」と呼ばれる現象で、一時的なストレスが長期的な心理的回復力を向上させるメカニズムと考えられています。

サイケデリック療法への新たな可能性

非薬物的アプローチの意義

この研究成果は、サイケデリック療法の分野に革命的な可能性をもたらします。従来のサイケデリック療法は、シロシビンやLSDなどの化学物質に依存していましたが、呼吸法による非薬物的アプローチは、法的・倫理的な制約を大幅に軽減できる可能性があります。

現在、日本を含め、多くの国でサイケデリック物質は規制物質に指定されており、研究や治療への応用には厳しい制限があります。しかし、呼吸法であれば、このような法的障壁を回避しながら、同様の治療効果を得られる可能性があるのです。

また、薬物による副作用や長期的な健康への影響を懸念する患者にとって、呼吸法は安全で自然な代替手段となり得ます。身体が本来持つ機能を活用したアプローチは、より多くの人々に受け入れられやすいでしょう。

安全性と効果性

研究では、42名の参加者全員が深刻な副作用を経験することなく呼吸法セッションを完了しました。パニック発作などの有害事象は一切報告されず、むしろ参加者の多くがネガティブな感情の減少を報告しています。

この安全性の高さは、呼吸法が薬物療法に比べてコントロールしやすい特性を持つことを示しています。参加者は自分の意志で呼吸を調整できるため、体験の強度をある程度コントロールできるのです。

効果性の面では、呼吸法によって誘発された意識変性状態の質と強度が、シロシビンなどの古典的サイケデリック物質による体験と非常に類似していることが確認されました。特に海洋境界感覚の体験は、薬物による体験と遜色ない水準に達していました。

実践における注意点と今後の展望

適切な環境設定の重要性

研究では、「セットとセッティング」の重要性も明らかになりました。これは、体験者の心理状態(セット)と環境(セッティング)が、意識変性体験の質に大きく影響するという概念です。

実験室環境での比較では、対面で指導者がいる静かな環境で行った呼吸法が、最も強い意識変性体験をもたらしました。一方、MRI装置内での実践では騒音や物理的制約により体験の質が低下し、オンラインでの遠隔指導では更に効果が限定的でした。

これは、呼吸法を治療に応用する際には、適切な環境整備と熟練した指導者の存在が不可欠であることを示しています。安全で支持的な環境は、効果的な体験のためだけでなく、参加者の心理的安全を確保するためにも重要です。

今後の研究課題

この研究は呼吸法による意識変性状態の神経科学的基盤を明らかにした画期的な成果ですが、まだ多くの課題が残されています。

第一に、サンプルサイズの拡大と多様な参加者での検証が必要です。今回の研究は経験豊富な実践者を対象としており、一般的な集団での効果や安全性については更なる検証が求められます。

また、音楽の役割についてより詳細な分析が必要です。研究では音楽と呼吸法を組み合わせて実践しましたが、音楽単体の効果と呼吸法単体の効果を分離して検討することで、より精密な理解が得られるでしょう。

さらに、長期的な治療効果の評価が重要です。単発のセッションでの効果は確認されましたが、継続的な実践による累積効果や、精神的健康への長期的影響については今後の研究が待たれます。

最後に、特定の精神疾患への応用可能性の検討が急務です。うつ病、PTSD、不安障害などの具体的な疾患に対する治療効果を検証することで、実際の臨床応用への道筋が見えてくるでしょう。

まとめ:呼吸法研究が開く新たな治療の扉

ブライトン・アンド・サセックス医科大学による今回の研究は、古代から実践されてきた呼吸法の効果を現代神経科学の手法で解明した画期的な成果です。シロシビンなどの化学物質を使用せずに、呼吸という自然な身体機能だけで深い意識変性状態を誘発できることが科学的に証明されました。

この発見は、サイケデリック療法の分野に新たな可能性を提示しています。法的制約や副作用の懸念から従来の薬物療法にアクセスできなかった多くの人々にとって、呼吸法は安全で効果的な代替手段となる可能性があります。

しかし、適切な指導と環境設定の重要性も明らかになっており、安易な自己実践ではなく、専門的な知識を持つ指導者のもとで行うことが推奨されます。今後の研究により、より多くの人々がこの革新的な治療法の恩恵を受けられる日が来ることを期待しています。

Kartar, A. A., Horinouchi, T., Örzsik, B., Anderson, B., Hall, L., Bailey, D., Samuel, S., Beltran, N., Bouyagoub, S., Racey, C., Nagai, Y., Asllani, I., Critchley, H., & Colasanti, A. (2025). Neurobiological substrates of altered states of consciousness induced by high ventilation breathwork accompanied by music. PLOS One, 20(8), e0329411. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0329411

本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。

この記事を書いた人
Yusuke

米国リベラルアーツカレッジを2020年心理学専攻で卒業。大手戦略コンサルティングファームにて製薬メーカーの営業・マーケティング戦略立案に従事するなかで、従来の保険医療の限界を実感。この経験を通じて、より根本的な心身のケアアプローチの必要性を確信し、サイケデリック医療を学ぶ。InnerTrekにてオレゴン州認定サイケデリック・ファシリテーター養成プログラム修了(Cohort 4)。

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