NHKが放送したサイケデリック医療のドキュメンタリーは日本での認知度向上に貢献する一方で、治療の本質的要素を見落としていました。オレゴン州認定ファシリテーター養成プログラムで学んだ実体験をもとに、真のサイケデリック療法に不可欠な「セットとセッティング」「統合セッション」について詳しく解説します。
NHK番組が見落としたサイケデリック療法の本質

先日放送されたNHKの『サイケデリック・ルネサンス 精神医療の最前線』は、日本におけるサイケデリック医療の理解促進において重要な一歩となりました。しかし、サイケデリック療法の核となる「セットとセッティング」や「統合セッション」について言及されなかった点は、治療の本質を伝える上で大きな問題といえます。
サイケデリック療法は単純な薬物投与ではありません。患者の心理状態と治療環境、そして体験後の統合プロセスが治療効果を大きく左右する、包括的な治療アプローチなのです。
サイケデリック医療の現状と安全性

番組で評価すべき点
NHKの番組では、シロシビン(マジックマッシュルーム)、MDMA、LSDの最新研究が世界各地から紹介されました。特に評価すべきは、サイケデリックの安全性が科学的根拠とともに示されていた点です。
オーストラリア、アメリカ、オランダ、イギリスなど先進国での研究動向が包括的に取り上げられ、視聴者にサイケデリック医療の国際的な広がりを伝えることができていました。
アルコールより安全な科学的根拠
日本においてシロシビンは「麻薬及び向精神薬取締法」で厳格に規制されていますが、科学的データによると、実際の危険度はアルコールよりも低いことが明らかになっています。
英国の薬物政策研究では、シロシビンの身体的依存性や社会的危害は、合法的に流通するアルコールやタバコと比較して極めて低いレベルにあることが示されています。この事実は、現在の規制の妥当性について重要な疑問を投げかけています。
見過ごされた重要な治療要素

私が最も懸念を抱いたのは、番組内でサイケデリックが従来の西洋医学における「薬」と同等の扱いをされていた点です。決してサイケデリック療法はサイケデリックを摂取するだけではないにも関わらず、治療の核となる要素が完全に見落とされていました。
番組が触れなかった「セットとセッティング」
最も驚いたのは、「セットとセッティング」という概念について1ミリも触れられなかったことです。この概念は、サイケデリック療法において治療効果を大きく左右する最重要要素にも関わらず、番組では全く言及されませんでした。
セットとは患者のマインドセット、つまり治療への意図や精神状態を指します。セッティングは治療環境や治療者との関係性を意味します。この概念は1960年代にティモシー・リアリーによって提唱され、現在でもサイケデリック療法の基礎となっています。
適切なセットとセッティングなしには、同じ物質を使用しても治療効果は大きく異なってしまいます。研究データによると、不適切な環境下でのサイケデリック体験は、治療効果を損なうだけでなく、時として逆効果をもたらすことも明らかになっています。
3つのセッションが無視された問題
さらに残念だったのは、サイケデリック療法の根幹となる「準備セッション」「投与セッション」「統合セッション」の3ステップについても取り上げられなかったことです。
準備セッションは治療者との関係性を築き、サイケデリックセッションの目的を明確にする重要なステップです。ジョンズ・ホプキンス大学の研究では、十分な準備期間を設けることで、治療効果が20-30%向上することが示されています。
そして最も重要なのが統合セッションです。これは、サイケデリック体験中に得られた洞察や感情、気づきを日常生活に取り入れ、持続的な変化を実現するプロセスです。適切な統合なしにサイケデリック体験を行った場合、得られた洞察は時間とともに薄れ、根本的な変化は生まれにくいことが研究で明らかになっています。
日本の臨床試験における課題

参加者の発言に見る統合不足
番組終盤で紹介された慶應大学の臨床試験参加者の感想を聞いた時、私は統合セッションが行われているのか疑問視せずにはいられませんでした。
もうひとつは、すごく抽象的なんですけど、広さとか奥行きみたいなものは、ビジョンとして見えた。その場所には誰もいなかった。自分の感じている孤独感が明確な形で見えていたのではないかと。 興味深い体験だったので、そういう体験ができたという幸運をありがたいと考えています。よい方向にいくのか、悪い方向にいくのかは、まだ分からないと思っています。
興味深い体験であるとする一方で、その意味については分からないというこの発言からは、適切な統合プロセスが欠如していることが示唆されているように思います。
統合セッションは、サイケデリック体験で得られた洞察や感情を日常生活に取り入れ、持続的な変化を実現するプロセスです。インペリアル・カレッジ・ロンドンの研究では、統合セッションなしのサイケデリック治療は、長期的な改善効果が50%以上低下することが報告されています。
「薬剤」としての限界
慶應大学が使用する「精神展開剤」という用語からは、従来の西洋医学における薬剤の延長として捉えられていることが読み取れます。しかし、この視点ではサイケデリック療法の本質的な価値を活用することは困難です。
サイケデリック療法は、患者の内面的な体験と洞察を通じた変容を促す治療法です。単純な生化学的作用だけでは説明できない、心理的・精神的な側面が治療効果の中核を占めているのです。
文化的搾取への配慮が欠如

番組では歴史についても触れられていましたが、残念ながら負の歴史について言及されることはありませんでした。具体的には、それまで限られたコミュニティの中で伝統的・儀式的に使用されていたマジックマッシュルームが西洋世界によって商業化されてしまった文化的搾取の側面が完全に見落とされていたのです。
マジックマッシュルームを西洋世界に紹介したメキシコのマリア・サビーナは、1979年のインタビューで「私は後悔しています。神聖なキノコの秘密を外国人と分かち合ってしまったことを。今では誰もが知っており、神聖なものが失われてしまいました」と語っていました。彼女の村には外国人観光客が押し寄せるようになり、晩年に深く後悔することとなったのです。
現代のサイケデリック・ルネサンスにおいては、先住民の伝統的知識を尊重し、適切な利益配分を行うことが倫理的義務となっています。この視点なしに、真に持続可能なサイケデリック医療の発展はありえないでしょう。
まとめ:日本のサイケデリック療法の未来
NHKの番組は日本におけるサイケデリック医療への理解促進という点で価値ある第一歩でした。しかし、真の治療効果を実現するためには、セットとセッティング、統合セッション、文化的配慮など、より深い理解が不可欠です。
私自身、オレゴン州での実地研修を通じてサイケデリック療法の本質を学んでいる最中ですが、日本でのサイケデリック医療発展には適切な訓練を受けたファシリテーターの養成が急務だと感じています。単なる「新しい薬」としてではなく、人間の意識と精神性に働きかける革新的な治療法として、サイケデリック療法の真価を日本でも活用していけるよう、微力ながら貢献していきたいと考えています。
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。