近年、治療抵抗性うつ病への新たな選択肢として注目を集めているケタミン療法ですが、2025年10月に発表された大規模臨床試験が衝撃的な結果を報告しました。本記事では、アイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンが実施したKARMA-Dep 2試験の詳細を解説し、サイケデリック療法の現状と今後の展望について紹介します。
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ケタミン療法は期待ほど効果的ではなかった?

結論から言えば、本研究では、入院患者に対する連続的なケタミン点滴療法は、プラセボ薬と比較して統計的に有意な抗うつ効果を示しませんでした。この研究結果は、サイケデリック療法の分野において慎重な評価の必要性を強く示唆しています。
KARMA-Dep 2試験では、中等度から重度のうつ病で入院している62名の患者を対象に、ケタミンまたは鎮静薬ミダゾラムを最大8回投与しました。治療終了時点でのうつ症状の改善度を測定したところ、両群の間に統計的な差は認められませんでした。この結果は、初期の小規模研究で報告されていた劇的な効果とは大きく異なるものです。
サイケデリック療法とケタミンの位置づけ

サイケデリック療法とは、精神に作用する物質を医療目的で使用する治療法の総称です。代表的な物質としては、シロシビン(マジックマッシュルームの成分)、LSD、MDMA、そしてケタミンなどが挙げられます。
ケタミンは元々麻酔薬として開発されましたが、低用量では独特の解離性作用を持ち、即効性の抗うつ効果があると報告されてきました。通常の抗うつ薬が効果を発揮するまでに数週間かかるのに対し、ケタミンは投与後数時間から数日で効果が現れると言われています。この特性から、特に自殺念慮が強い患者や治療抵抗性うつ病の患者に対する「救急治療」として期待されてきました。
実際、米国では2022年時点でケタミンを投与された患者の28.3%がうつ病の診断を受けており、適応外使用が急速に広がっています。2019年には鼻腔スプレー型のエスケタミンが複数の国で承認され、静脈注射によるラセミ体ケタミンの使用も増加傾向にあります。
KARMA-Dep 2試験が明らかにした真実

研究デザインと参加者
KARMA-Dep 2試験は、2021年9月から2024年8月にかけてアイルランドのダブリンにある聖パトリック大学病院で実施されました。この研究の特徴は、実際の臨床現場を反映した「プラグマティック試験」である点です。
参加者は18歳以上の入院患者で、DSM-5の基準で大うつ病エピソード(単極性または双極性)と診断され、モンゴメリー・アスベルグうつ病評価尺度(MADRS)スコアが20点以上の中等度から重度のうつ病患者でした。平均年齢は53.5歳、約60%が男性で、全員が白人でした。参加者の約半数は治療抵抗性うつ病の基準を満たしていました。
研究デザインの重要な特徴は、ミダゾラムという鎮静薬をプラセボ対照として使用した点です。従来の生理食塩水を使った研究では、ケタミンの独特な解離性作用によって患者や評価者が本物の薬かどうかを推測してしまい、期待効果(プラセボ効果)が結果に影響する可能性がありました。ミダゾラムは急性の鎮静効果があり、半減期もケタミンと類似しているため、より公平な比較が可能になると考えられました。
治療プロトコルと安全性監視
参加者は1対1の比率でケタミン群またはミダゾラム群に無作為に割り付けられました。ケタミンは体重1キログラムあたり0.5ミリグラム、ミダゾラムは0.045ミリグラムを、それぞれ40分間かけて静脈内投与しました。投与は週2回、最大8回まで行われ、患者は通常の入院治療(薬物療法、精神療法、作業療法など)も並行して受けました。
安全性の観点から、投与中と投与後120分間まで、心拍数、血圧、酸素飽和度が継続的にモニタリングされました。心拍数が110回/分以上、または血圧が180/100mmHg以上の状態が15分以上続き、β遮断薬治療に反応しない場合は投与を中止するという基準が設けられていました。
主要な結果
治療終了時点(最終投与の24時間後)でのMADRSスコアを比較したところ、ケタミン群とミダゾラム群の間に統計的に有意な差は認められませんでした。調整後の平均差は-3.16点(95%信頼区間:-8.54〜2.22、p=0.25)で、効果量(Cohen’s d)は-0.29と小さいものでした。
自己評価によるうつ症状の尺度(QIDS-SR-16)でも同様に、両群間に有意な差は見られませんでした。寛解率(治療終了時にMADRSスコアが10点以下)は、ケタミン群で43.8%、ミダゾラム群で30.0%でしたが、この差も統計的には有意ではありませんでした。
認知機能、医療コスト、生活の質などの副次的評価項目についても、両群間に有意な差は認められませんでした。24週間の追跡期間中の再発率も両群で類似していました。
盲検化の問題
研究の重要な発見の一つは、盲検化(誰がどちらの薬を受けているか分からなくする工夫)が機能しなかったことです。評価者は最初の投与後からケタミン群の患者を90.6%の正確さで識別でき、治療終了時にも90.6%の正確さを維持していました。
患者自身も、最初の投与後には78.1%が自分がケタミンを受けていると正しく推測し、治療終了時には85.0%に上昇しました。一方、ミダゾラム群の患者の推測精度は低く、最初は46.4%でしたが、治療終了時には60.0%に上昇しました。
なぜ期待された効果が見られなかったのか

この研究結果が示唆することは複雑で、いくつかの要因が考えられます。
まず、盲検化の失敗が結果に大きく影響した可能性があります。患者や評価者がケタミンかどうかを推測できた場合、期待効果や観察者バイアスが結果を歪める可能性があります。実際、観察された3.2点の差でさえ、こうした期待効果によって膨らんでいる可能性があると研究者は指摘しています。
初期の研究では、生理食塩水を対照とした場合の効果量が1.8と非常に大きかったのに対し、ミダゾラムを対照とした場合は0.7まで低下することが知られていました。今回の研究はこの傾向をさらに強く裏付けるものとなりました。
また、患者集団の違いも考慮する必要があります。この研究は入院患者を対象としており、より重症度が高く、複数の薬物療法を同時に受けている患者が多かったと考えられます。こうした状況では、ケタミンの追加効果が検出しにくかった可能性があります。
興味深いことに、ケタミン群の43.8%の寛解率は、電気けいれん療法(ECT)との比較試験で報告された46.3%と類似していました。これは、実際の臨床現場においてケタミンが一定の効果を持つ可能性を示唆していますが、プラセボ対照との比較では優位性を示せなかったということです。
今後の展望とサイケデリック療法の課題

この研究結果は、サイケデリック療法全般に対して重要な教訓を提供しています。
第一に、初期の小規模研究や厳密な対照を持たない研究の結果を過度に一般化することの危険性です。ケタミンの「劇的な」効果は、期待効果や自然経過による改善、そして厳密でない研究デザインによって誇張されていた可能性があります。
第二に、盲検化を維持することの困難さです。ケタミンのような明確な精神作用を持つ物質では、患者も評価者も薬剤を識別できてしまいます。この問題は、シロシビンやLSDなどの他のサイケデリック物質でも同様に存在します。2023年に発表された研究では、全身麻酔下でケタミンを投与することで完全な盲検化を達成しましたが、その条件下ではケタミンに抗うつ効果が認められませんでした。
第三に、入院治療という集中的なケア環境においては、薬物療法の追加効果を検出することが困難である可能性です。通常の精神科治療、心理療法、社会的支援などが総合的に提供される環境では、特定の薬物の独立した効果を評価することが難しくなります。
しかし、これらの結果はケタミンや他のサイケデリック療法の可能性を完全に否定するものではありません。むしろ、より慎重で科学的に厳密なアプローチの必要性を示しています。今後の研究では、どのような患者がケタミン療法から最も恩恵を受けるのか、最適な投与量や投与頻度は何か、心理療法との組み合わせは効果を高めるのかなど、より具体的な疑問に答える必要があります。
シロシビン療法についても同様のアプローチが求められます。初期の研究では有望な結果が報告されていますが、大規模で厳密に対照された研究による検証が不可欠です。ジョンズ・ホプキンス大学やインペリアル・カレッジ・ロンドンなどの研究機関が、こうした研究を進めています。
まとめ:サイケデリック療法への期待と現実のバランス
KARMA-Dep 2試験の結果は、サイケデリック療法に対する過度の期待に警鐘を鳴らすものです。連続的なケタミン点滴療法は、厳密に対照された条件下では、プラセボ薬に対する明確な優位性を示しませんでした。この結果は、初期の楽観的な報告が期待効果や研究デザインの問題によって影響を受けていた可能性を示唆しています。
しかし、これは決してサイケデリック療法の終わりを意味するものではありません。むしろ、この分野が成熟し、より科学的に厳密な段階に入ったことを示しています。今後は、適切な患者選択、最適な投与プロトコル、心理療法との統合、長期的な安全性と効果の評価など、より詳細な研究が必要です。
医療従事者と患者は、サイケデリック療法の可能性を認識しつつも、その限界と不確実性についても理解する必要があります。現時点では、ケタミンやシロシビンなどの物質が「魔法の弾丸」ではなく、慎重な評価と適切な臨床判断のもとで使用されるべき治療選択肢の一つであることを認識することが重要です。
科学的証拠に基づいた判断と、患者の安全を最優先とした慎重なアプローチこそが、サイケデリック療法の真の可能性を引き出す鍵となるでしょう。
Jelovac, A., McCaffrey, C., Terao, M., et al. (2025). Serial ketamine infusions as adjunctive therapy to inpatient care for depression: The KARMA-Dep 2 randomized clinical trial. JAMA Psychiatry. https://doi.org/10.1001/jamapsychiatry.2025.3019
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。


