MDMA・シロシビン療法が世界初承認|オーストラリアの画期的な取り組み

法律・規制

オーストラリア退役軍人省(DVA)がPTSD治療のためのMDMAと治療抵抗性うつ病のためのシロシビンの資金提供を承認し、世界中の注目を集めています。これは政府機関がサイケデリック療法を公的医療制度に組み込んだ初めての事例です。本記事では、この歴史的な決定の背景から具体的な承認プロセス、実際の治療アクセスの現状、そして世界へ広がる影響まで、サイケデリック療法の最前線を詳しく紹介します。

オーストラリアが世界初承認:退役軍人のメンタルヘルスケアに革命

オーストラリアが世界初承認―退役軍人のメンタルヘルスケアに革命

オーストラリア退役軍人省(DVA)は最近、心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療のためのMDMAと、治療抵抗性うつ病(TRD)のためのシロシビンの資金提供を承認しました。これらは集中的な心理療法と組み合わせて使用され、サイケデリック療法やサイケデリック補助心理療法(PAP)と呼ばれています。

この決定は、単なる研究段階を超えた実際の医療サービスとして、政府が退役軍人に対してサイケデリック療法の費用を負担するという画期的なものです。2025年5月には、カナダのOptimi Health社から過去最大規模となる1,000カプセルのGMP規格MDMA(40mgと60mg)がオーストラリアに輸出され、DVAの資金援助のもとで退役軍人のPTSD治療に使用されることが発表されました。

Mind Medicine Australiaの会長であるPeter Hunt AMは、「退役軍人省がMDMA補助療法に資金提供するという発表は、この治療アプローチに対する大きな支持表明です。最も必要とする人々へのケアアクセスを広げるための重要な一歩として、政府の最高レベルでこれらの療法が意味のある回復をもたらすという認識が高まっていることを示しています」と述べています。

この承認の背景には、従来の治療法では効果が得られなかった退役軍人の深刻な状況があります。オーストラリアでは、人口の約11%(約280万人)が生涯のうちにPTSDを経験するとされており、 特に戦場や災害現場での過酷な体験を持つ退役軍人にとって、新たな治療選択肢の必要性は切実でした。

なぜ今、サイケデリック療法なのか:精神医療が抱える3つの課題

なぜ今、サイケデリック療法なのか:精神医療が抱える3つの課題

退役軍人のメンタルヘルスケアにおいて、従来の治療法には深刻な限界がありました。これがサイケデリック療法への期待を高めている主な理由です。

治療抵抗性患者の増加

薬物に抵抗性のうつ病に対して、従来の抗うつ薬では約3分の1の患者に効果がないとされています。特に戦場でのトラウマを抱える退役軍人の場合、一般的なPTSD患者よりも治療が困難なケースが多く、複数の抗うつ薬やSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を試しても症状が改善しないことが珍しくありません。

効果発現までの時間と再発率の高さ

従来の抗うつ薬は効果が現れるまでに最低でも2週間、多くの場合は4〜6週間を要します。重度のうつ病やPTSDで日常生活が困難な患者にとって、この待機期間は耐え難いものです。さらに、一時的に症状が改善しても再発率が高く、長期的な服薬継続が必要となります。

対照的に、ジョンズ・ホプキンス大学の研究者たちは、支持的な療法と組み合わせたシロシビン療法が、うつ病の症状を最大12ヶ月間緩和できることを示しました。また、最近の査読済み研究では、MDMA を使用してPTSDを治療した参加者の86%が「臨床的に意味のある改善」を達成しました。

自殺リスクの深刻さ

退役軍人は自殺危機の最前線に立たされており、従来の治療では対応しきれない現状があります。 PTSDと うつ病を併発している退役軍人の自殺率は一般人口と比較して著しく高く、早急な対応が求められていました。サイケデリック療法の即効性と持続性は、この危機的状況への有効な解決策となる可能性があります。

MDMAとシロシビン、2つの物質がもたらす治療効果の違い

サイケデリック療法の様子

オーストラリアDVAが承認した2つの物質は、それぞれ異なる精神疾患に対して特化した効果を持っています。

PTSD治療のMDMA―恐怖記憶への新しいアプローチ

MDMAはPTSDに対して処方が許可される予定で、蓄積された既存のエビデンスに基づいています。 MDMAは「エンパトゲン(共感促進物質)」とも呼ばれ、患者の不安や恐怖反応を一時的に抑制しながら、共感性や感情的なつながりを高める作用があります。

戦場での激しい戦闘、仲間の死、生命の危機といったトラウマ記憶は、通常の心理療法では向き合うことが極めて困難です。患者はトラウマ記憶に触れようとするだけでパニック発作や解離症状を起こすことがあります。MDMAはこの恐怖反応を軽減することで、患者が安全な環境下でトラウマ記憶を処理し、再統合することを可能にします。

アメリカVA(退役軍人省)も2024年12月に、ロードアイランド州プロビデンスVA医療センターとコネチカット州ウェストヘイブンVA医療センターで、PTSDとアルコール使用障害を持つ退役軍人に対するMDMA補助療法の研究に約150万ドル(5年間)を授与しました。この研究は2025会計年度に登録を開始する予定です。

治療抵抗性うつ病に対するシロシビンの可能性

シロシビンは難治性のうつ病に処方が許可される予定です。 シロシビンは脳内のセロトニン2A受容体に作用し、脳の異なる領域間の接続性を一時的に変化させます。これにより、長年固定化されていた否定的な思考パターンや反芻思考(同じ否定的な考えを繰り返すこと)から脱却することが可能になります。

実際の文献を読むと、薬に抵抗性のうつ病に対して、シロシビンを数回服用するだけで、年単位で症状が改善されたとの報告もあります。 多くの抗うつ薬を試しても効果が得られなかった患者が、わずか1〜3回のシロシビンセッションで劇的な改善を経験するケースが報告されています。

オーストラリアの承認プロセスと世界が注目する厳格な安全基準

オーストラリアの承認プロセスと世界が注目する厳格な安全基準

オーストラリアのサイケデリック療法承認は、慎重かつ段階的なプロセスを経て実現しました。

スケジュール変更が意味すること

オーストラリアでは2023年7月1日より、シロシビンとMDMAの薬物・毒物基準が、スケジュール9(禁止物質)からスケジュール8(規制物質)へと変更されました。これにより、医療管理局(TGA)から特別に認可された精神科医は、これらのサイケデリック物質を治療目的で処方することが可能になりました。

オーストラリアで、違法薬物だったMDMAとシロシビンが治療薬として承認されたことは、世界で初めての事例として物議を醸しました。 スケジュール9からスケジュール8への変更は、これらの物質が「医学的用途がない」状態から「厳格に管理された医療用途がある」状態へと正式に認められたことを意味します。

ただし、今回の薬物・毒物基準のスケジュール変更は治療目的での使用に限られており、その他の目的(嗜好目的など)でのシロシビン・MDMAの使用は禁止物質扱い(スケジュール9)のままとなります。 このように、医療用途と非医療用途を厳密に区別することで、乱用のリスクを最小限に抑えています。

認可処方者制度の厳格さ

これらを処方するために、精神科医は臨床試験倫理委員会からの承認を得た後、さらに医療管理局による認可処方者制度(Authorised Prescriber Scheme)に基づく承認を得る必要があります。このことは、患者の安全が確保された厳格な管理のもとで処方されなければならないことを意味しています。

さらに、DVAが資金提供を行う前に、退役軍人は認可処方者との臨床評価プロセスを経る必要があります。PTSDや治療抵抗性うつ病と診断されていても、治療を受けるための厳格な臨床要件を満たさない場合があることに注意が必要です。 これは、患者が医学的にサイケデリック療法に適しており、治療が健康にリスクをもたらさないことを確保するためとしています。

また、治療は「倫理委員会の監督のもとで臨床試験として実施される」ことが求められており、 医療の質と安全性を最優先する姿勢が貫かれています。

実際の治療アクセスと課題:理想と現実の大きなギャップ

世界初の承認という画期的な決定にもかかわらず、実際の治療アクセスには依然として大きな課題が残っています。

費用の壁―1回の治療で約3万ドル

現在、MDMAとシロシビン治療は24,000豪ドル以上と推定されており、その相当部分が治療セッション自体に費やされます。 両物質とも長時間作用するため、高度な訓練を受けたスタッフ(精神科医や心理カウンセラー)が長時間にわたって付き添う必要があります。各治療サイクルは少なくとも2回の投与セッションで構成され、それぞれが8時間を超えるため、費用が積み上がっていきます。

オーストラリアの研究者であるGill Bedi教授は次のように述べています。

アクセスの主な障壁はコストです。これらは非常にリソース集約型の治療であり、メディケア(オーストラリアの国民皆保険制度)でカバーされていないため、現在のコストはほとんどの人々にとって禁止的です。特に慢性的な精神疾患を抱えて生活してきた人々にとっては。

DVAによる資金提供承認は、この経済的障壁を取り除く重要な一歩となります。退役軍人は個人的に費用を負担する必要がなく、政府の支援を受けて治療にアクセスできるようになります。

認可処方者の不足

TalkingDrugsによる情報公開請求により、2024年11月時点で、MDMAとシロシビンを処方する権利を与えられた処方者はわずか9名しかいないことが明らかになりました。承認から1年以上が経過しているにもかかわらず、実際に治療を提供できる医師の数は極めて限られています。

オーストラリア医療製品規制庁(TGA)の元局長であるJohn Skerritt氏は2023年4月に、「私たちは第二の統制手段を提供できます… 認可処方者に制限することです。そうすると、その使用は倫理委員会を通過しなければなりません」と述べ、承認プロセスにさらなる統制の仕組みを追加しました。

Sundram教授はTalkingDrugsに対し、「アクセスを困難にするように設計されていると思います。本質的には、誰かが単にフォームに署名して提出する(薬を入手する)ことに対するブレーキとして機能します」とも述べています。

国内製造の不在と輸入依存

さらに、医療グレードのMDMAとシロシビンの国内製造が存在しないため、薬剤は高コストで長期間を要し、高度に規制されたプロセスを通じて輸入しなければなりません。

オーストラリアは幻覚剤治療の実践のため、Filament Health社、PharmAla Biotech社、Optimi Health社といったカナダのバイオテクノロジー企業から治療用のシロシビンやMDMAを輸入しています。この輸入依存は、供給の安定性とコストの両面で課題となっています。

広がる希望―初のサイケデリッククリニック開院

課題は多いものの、前進も見られます。2024年2月1日、医療用大麻製品や幻覚剤療法の開発を行う製薬会社Incannex Healthcare社は、オーストラリアでサイケデリック補助療法を行う国内初のクリニックをオープンしました。オーストラリア第2の都市メルボルンにある「Clarion Clinics」には、経験豊富な精神科医と心理学者が集まっています。

さらに、2025年9月には、ニューカッスル地域のBroadmeadow、East Maitland、セントラルコーストのKillarney Valeで治療が提供されることが発表されました。治療セッションはToronto Private Hospitalの個室で行われる予定です。また、Medibank Privateは、革新的心理療法プログラムの一環として、PTSDに対するMDMA補助療法のパイロットプログラムを実施しており、 将来的には民間医療保険を通じた一部資金援助も期待されています。

まとめ:退役軍人医療から始まる精神医療の未来

オーストラリア退役軍人省(DVA)によるMDMAとシロシビン療法への資金提供承認は、精神医療の歴史における転換点となりました。政府機関が公的資金でサイケデリック療法を支援する世界初の事例として、その影響は退役軍人コミュニティを超えて広がっています。

オーストラリア医療製品規制庁(TGA)は2023年2月3日、サイケデリック物質MDMAとシロシビンを含む医薬品が、認可された精神科医によって特定の精神疾患に対して処方される可能性があることを発表し、2023年7月1日に発効しました。 この決定から2年が経過し、初期の課題は明らかになってきました。認可処方者の不足、高額な治療費用、輸入への依存など、解決すべき問題は残っています。

しかし、進展も確実に見られます。2025年5月には過去最大規模のMDMA輸出が完了し、 専門クリニックの開設も進んでいます。オーストラリアのサイケデリック治療市場は今後数年間で年間20億カナダドル以上になると試算されており、 産業としての成長も期待されています。

最も重要なのは、従来の治療法では希望を見出せなかった退役軍人たちに、新たな選択肢が生まれたことです。長年PTSDやうつ病に苦しみ、複数の治療法を試しても改善が見られなかった患者にとって、DVAによる資金提供は文字通り命を救う可能性があります。

アメリカ食品医薬品局(FDA)が最近、MDMA補助療法の承認申請を却下したことにより、オーストラリアの動きは、以前は違法だった物質の医療規制において真の異端児となりました。 世界が慎重な姿勢を維持する中、オーストラリアは果敢に前進しています。この挑戦が成功すれば、世界中の精神医療に新たな道が開かれることが期待されます。

Psychedelic Assisted Psychotherapy (PAP) using MDMA or Psilocybin | Department of Veterans’ Affairs. (2025, October 31). https://www.dva.gov.au/what-we-help-with/your-mental-wellbeing/psychedelic-assisted-psychotherapy-pap-using-mdma-or-psilocybin

本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。

この記事を書いた人
ユウスケ

米国リベラルアーツカレッジを2020年心理学専攻で卒業。大手戦略コンサルティングファームにて製薬メーカーの営業・マーケティング戦略立案に従事するなかで、従来の保険医療の限界を実感。この経験を通じて、より根本的な心身のケアアプローチの必要性を確信し、サイケデリック医療を学ぶ。InnerTrekにてオレゴン州認定サイケデリック・ファシリテーター養成プログラム修了(Cohort 4)。

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