治療抵抗性うつ病やPTSDなどの精神疾患分野で研究が進むサイケデリック療法ですが、がん患者の苦痛を和らげる新たな希望として注目を集めています。本記事では、24年間最前線で患者と向き合ってきた医療腫瘍医が、自らの体験を通じて発見したサイケデリックがもたらす医療の変革について紹介します。
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サイケデリックががん医療にもたらす3つの革新的変化

がん治療の現場で、サイケデリック療法は患者の実存的苦痛の軽減、医療従事者のバーンアウト解消、そして免疫システムへの好影響という3つの側面から医療を変革しようとしています。これまで見過ごされてきた心理的・精神的ケアの不足を補う、新しい治療選択肢として期待が高まっています。
現代のがん医療は、手術、化学療法、放射線治療といった身体的アプローチに重点が置かれてきました。しかし、がん患者が直面する苦痛は身体的なものだけではありません。「来年まで生きられるだろうか」「家族に何を残せるだろうか」という実存的な問いや、将来への不確実性による深い不安は、従来の医療システムでは十分に対処されてきませんでした。
ジョンズ・ホプキンス大学やニューヨーク大学などの研究により、シロシビン療法が終末期がん患者の実存的苦痛を大幅に軽減することが既に証明されています。さらに注目すべきは、この効果が患者だけでなく、日々過酷な現場で働く医療従事者や、患者を支える介護者にまで広がる可能性があることです。24年間メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターで医療腫瘍医として勤務したジェイソン・コナー医師の実体験は、サイケデリック療法が医療の在り方そのものを変える可能性を示しています。
最前線の医師が体験したサイケデリックの力

24年間の臨床経験と突然の転機
ニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターで24年間医療腫瘍医として勤務してきたジェイソン・コナー医師は、2024年8月に臨床現場を離れ、サイケデリック・オンコロジー(精神活性物質を用いたがん治療学)の分野に専念することを決意。この大きな転換のきっかけは、彼自身のサイケデリック体験だったといいます。
コナー医師は長年、がん患者の治療に献身的に取り組んできましたが、COVID-19パンデミックを経て深刻なバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥っていました。彼は自身の状態を「感情的に悪い場所にいて、螺旋状に落ち込んでいた」と振り返ります。そんな中、偶然耳にした「アヤワスカリトリート」という言葉が、彼の人生を変える転機となったのです。
アヤワスカ体験がもたらした医療実践の変化
2022年末、コナー医師は南米のジャングルでアヤワスカ体験を行いました。この1週間の体験は、彼の医療実践を根本から変えることになります。最も顕著な変化は、自分がバーンアウト状態にあったことを初めて認識できたこと、そして長年抱えていた死への恐怖が消失したことだったといいます。
それまで彼は、医療腫瘍医には2つの選択肢しかないと考えていました。患者に共感的に接して自らも苦しむか、あるいは自己防衛のために患者と距離を置くか。しかしアヤワスカ体験後、彼は第3の道を発見します。それは、患者と深くつながり、共感的でありながら、自分自身は苦しまないという在り方でした。
がん治療現場の見過ごされてきた課題

医療システムが抱える構造的問題
現代のがん医療は、手術、化学療法、放射線治療といった身体的治療に重点を置いていますが、患者の心理的・精神的苦痛への対応は不十分なままです。コナー医師は、多くの患者が精神科医やソーシャルワーカーなどのサポートを受けられると思われているが、実際にはそうしたリソースへのアクセスは限られていると指摘します。
患者は仕事をしながら治療を受けることも多く、生きるために必要な治療スケジュールをこなすだけで精一杯。さらに、精神科医を受診しても、反応性うつ病と診断されてSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を処方されるだけで、根本的な問題である「意味の喪失」「認識されていないトラウマ」「未処理の悲嘆」には対処されないケースが多いと言うのです。
サポートグループの予期せぬ弊害
さらに、コナー医師はがん患者向けのサポートグループについても警鐘を鳴らしています。新たに診断を受けた患者が同じ境遇の人々とつながりを求めてサポートグループに参加すると、自分よりもはるかに進行した状態の患者と出会い、「以前は私もあなたのようだった。今の私を見て」という言葉を聞くことになります。これは患者にとってトラウマとなり得るため、彼は患者をサポートグループに紹介することをやめたといいます。
医療腫瘍医の多面的役割
結果として、医療腫瘍医は本来精神科医や緩和ケア医が担うべき役割も引き受けることになるといいます。痛みの管理、不安の対処、時にはうつ病の治療まで、関係性を基盤とした幅広いケアを提供しているのが現実です。しかし、現在の医療システムは、こうした関係性構築のための時間やトレーニング、報酬を提供していません。
サイケデリック療法ががん患者にもたらす可能性

実存的苦痛の軽減:既に証明されている効果
ジョンズ・ホプキンス大学、ニューヨーク大学、イェール大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校などの研究機関で行われた臨床研究により、終末期がん患者に対するシロシビン療法が実存的苦痛や不安を大幅に軽減することが示されています。コナー医師は「これは医療腫瘍学の分野で大々的に伝えるべき重大なニュースなのに、実際には全く議論されていない」と指摘します。
がん診断を受けると、患者の意識にスイッチが入り、突然将来への不確実性と向き合うことになります。例えば、「来年まで生きられるだろうか」「老いることができるだろうか」といった実存的な問いが常に付きまといます。「今を生きなさい」というアドバイスは簡単ですが、恐怖と痛みで収縮した状態にある人にとっては実践が困難なのが現実です。
神経再生の可能性:末梢神経障害への希望
多くの化学療法薬や分子標的薬は、末梢神経系にダメージを与えます。これは患者の生活の質に深刻な影響を及ぼしますが、現在の治療法(ガバペンチンやシンバルタなど)は痛みを和らげるだけで、神経の修復は行いません。また、これらの薬には独自の副作用があります。
サイケデリックが脳内でシナプスの成長や神経の再生を促進することが示されているため、末梢神経系にも同様の効果がある可能性があります。ポール・スタメッツ氏らは、シロシビンとライオンズメーン(ヤマブシタケ)を組み合わせた「スタメッツ・スタック」が末梢神経機能に与える影響について研究を進めています。
免疫システムへの影響:驚くべき症例報告
コナー医師は、ポッドキャストの中で、卵巣がん患者の驚くべき症例を紹介しています。この患者は7次治療を受けていましたが、南米でシャーマンとの儀式(サイケデリック医薬品は使用せず)に参加した後、化学療法を中止したところ、2年半にわたって自然退縮が見られました。これは卵巣がん、特にプラチナ抵抗性の高悪性度漿液性卵巣がんではほとんど前例のないことだそうです。
手術で摘出した腫瘍を分析したところ、縮小した腫瘍と成長した腫瘍は遺伝的には同じでしたが、縮小した腫瘍には免疫細胞(T細胞)が浸潤して腫瘍を攻撃していたのに対し、成長した腫瘍では免疫細胞が腫瘍の外側にとどまり侵入できていませんでした。この研究は『Cell』誌に掲載されましたが、シャーマンとの体験については言及されていません。
この症例は、サイケデリック体験が何らかの形で免疫システムを活性化させた可能性を示唆しています。過去20年間のがん治療における最大の進歩は、免疫療法でした。これらの薬剤の多くは腫瘍に直接作用するのではなく、免疫システムが本来の働きをできるようにするものです。サイケデリック体験による心理的・生理的変化が、同様に免疫システムの機能を高める可能性があるのです。
患者だけでない:介護者と医療従事者の支援

介護者の見過ごされた苦痛
がんの診断は患者本人だけでなく、家族全体に波及効果をもたらします。特に介護者(主に配偶者)は、患者の命が危険にさらされている中で自分の苦しみを表現することができず、多くを犠牲にしながらも十分な支援を受けられていません。
コナー医師は、サンストーン・センターで進行中の、MDMAを用いたカップル共同セッションの臨床試験について言及しています。患者が治療を受ける際、配偶者も同時にサイケデリック療法を受けることで、より良いサポートを提供できる可能性があります。患者の闘病中だけでなく、死別後の悲嘆への対処においても、サイケデリック療法は重要な役割を果たす可能性があります。
医療従事者のメンタルヘルス
医療腫瘍医は、患者が経験する極めて困難な状況を目の当たりにし、多くの場合、何年にもわたって患者と並走しながら、最終的には多くの患者が疾患で亡くなるのを見送ります。しかし、こうした仕事を続けるために必要な個人的な内面作業について、十分な支援や訓練、理解は提供されていません。
コナー医師自身、サイケデリック体験後の1年間は「スーパーパワーを持ったよう」に感じたと述べています。患者のために、これまでにないほど充実した形で仕事ができるようになったというのです。バーンアウトが解消されただけでなく、死への恐怖がなくなったことで、自分の恐怖を診察室に持ち込まなくなったそうです。
医療システム全体への経済的インパクト

コナー医師は、サイケデリック療法の生物学的効果と経済的効果の両方を研究すべきだと主張します。生物学的効果は患者の注目を集め、経済的効果はシステム全体の注目を集めるでしょう。
彼の臨床経験から、サイケデリック療法を受けた患者は、腫瘍マーカーや検査結果について繰り返し質問することが減り、代わりに自分の人生、計画、夢について話すようになったといいます。その結果、1日に診察できる患者数が2倍になり、医師も患者もより幸せに帰宅できるようになりました。
さらに、米国では終末期ケア、特に人生最後の2週間に膨大な医療費が費やされています。これは、死との関係を見つめ直していない人々が恐怖の中で生きているために起こることです。サイケデリック療法によって死を受け入れられるようになれば、ICUで複数のチューブにつながれて不合理な治療を受ける人が減り、システム全体がより健全になる可能性があります。
サイケデリック・オンコロジーの未来

教育と対話から始める
コナー医師は、壮大な未来像を描く前に、基本から始める必要があると強調します。最も重要なのは、サイケデリックとは何か、どのように作用するか、リスクと潜在的利益は何か、がん医療のエコシステムにどのように役立つかについて、メッセージを発信し教育することです。
興味深いことに、サイケデリック療法が合法化されているオレゴン州でさえ、住民の18%しかシロシビン支援療法が合法であることを知らなかったという調査結果があります。最先端の州でさえこの状況ですから、まずは会話を始めることが重要なのです。
リトリート体験を臨床研究の対象にする難しさ
サイケデリック体験の治療効果を研究することは重要ですが、リトリートでの体験を臨床実験室に変えてしまうことは避けなければなりません。これは非常に美しく個人的な体験であり、コナー医師は「その体験を妨げたくない最後の人間」だと述べています。
患者を単なる研究対象として見るのではなく、彼らの体験を尊重しながら重要な情報を集める方法を見つける必要があります。コナー医師の希望は、「干渉することなく、これを目撃すること」です。
ヘルスケアシステムから変革を
最終的に、サイケデリック療法が患者に適切な形で届くためには、医療コミュニティにおける「サイケデリック・リテラシー(基礎知識)」が不可欠です。医療従事者自身がこれらの体験を持つことが理想的ですが、少なくともそれについて知り、リソースを持つことが重要です。
医療従事者自身が個人的にこの恩恵を受ける可能性があることも重要なポイントです。医療従事者がより健康で幸せであれば、患者により良いケアを提供できるからです。
まとめ:がん医療の新しいパラダイム
サイケデリック療法は、がん治療における新しいパラダイムを示しています。それは、身体的治療だけでなく、心理的・精神的・実存的な苦痛にも対処する統合的アプローチです。ジョンズ・ホプキンス大学などの研究機関による臨床データは、終末期がん患者の実存的苦痛を大幅に軽減する効果を既に示しています。
この変革は患者だけでなく、介護者や医療従事者にも及びます。特に医療従事者のバーンアウト問題は深刻であり、サイケデリック体験が提供する新しい視点は、彼らがより効果的かつ持続可能な形で患者をケアすることを可能にします。
24年間最前線で働いてきた医療腫瘍医が、自らのキャリアを賭けてサイケデリック・オンコロジーという新しい分野に専念することを決めた事実は、この治療法の持つ可能性の大きさを物語っています。今後、神経再生効果や免疫システムへの影響についてのさらなる研究が進めば、がん医療は大きく変わる可能性があります。
重要なのは、人々が恐怖からではなく愛のために生きること、死との健全な関係を築くことです。サイケデリック療法は、そのための強力なツールとなり得るのです。
Connor, J. (2024). Psychedelic oncology: Transforming cancer care through psychedelic medicine. Psychedelics Today [Podcast]. Retrieved from https://psychedelicstoday.com
本記事は情報提供のみを目的としており、医療アドバイスではありません。
精神的・身体的な問題を抱えている方は、必ず医療専門家にご相談ください。
また、日本国内でのサイケデリック物質の所持・使用は法律で禁止されています。


